
イヴァン4世 ツァーリとして戴冠 親政始まる
1547年イヴァンはツァーリとして戴冠し、親政が始まった。イヴァン4世は1549年に、正教会と母方のグリンスキー家(のちに戴冠式後に結婚した妻の実家ザハリン家)の助力を受けて「選抜会議」と呼ばれる政府を組織した。中心となったのは士族アレクセイ・アダーシェフとイヴァンの懺悔聴聞僧シリヴェストル。府主教マカーリーもツァーリ権力強化で影響力をみせた。「選抜会議」政府は1550年代にかけて一連の改革を実施した。
宮廷の役職とは別に国家の行政機関がつくられた。イズバー(のちにプリカース)と呼ばれる中央諸官庁。
使節庁 対外政策を担当
嘆願庁 国政の最高監督機関 アダーシェフが率いる
封地庁 支配層の領地を管掌
盗賊取締庁 治安維持
補任庁・銃兵隊庁 軍事行政
地方には中央から地方長官にあたる代官や郷司が派遣されていた。彼らは俸給を受けず、地方住民の負担で生計を維持していた(扶持制度)。しかし、職権乱用がひどく、改革が求められていた。1556年に扶持制度が廃止され、国有地が多い地方では、上層農民と都市の富裕なポサード民から選ばれた地方長老による地方自治がおこなわれた。封地など私有地が多い地方では、盗賊に対処するための警察管区、郡(グパー)の士族から選出されるグパー長老が治安維持に当たっていて、地方行政でも重要な役割をはたした。
宮廷の役職とは別に国家の行政機関がつくられた。イズバー(のちにプリカース)と呼ばれる中央諸官庁。
使節庁 対外政策を担当
嘆願庁 国政の最高監督機関 アダーシェフが率いる
封地庁 支配層の領地を管掌
盗賊取締庁 治安維持
補任庁・銃兵隊庁 軍事行政
地方には中央から地方長官にあたる代官や郷司が派遣されていた。彼らは俸給を受けず、地方住民の負担で生計を維持していた(扶持制度)。しかし、職権乱用がひどく、改革が求められていた。1556年に扶持制度が廃止され、国有地が多い地方では、上層農民と都市の富裕なポサード民から選ばれた地方長老による地方自治がおこなわれた。封地など私有地が多い地方では、盗賊に対処するための警察管区、郡(グパー)の士族から選出されるグパー長老が治安維持に当たっていて、地方行政でも重要な役割をはたした。
1549年から全国会議が召集された。政府が地方有力者を通して支配を全国に行き渡らせようとするものだった。西欧の身分制議会とは異なり、諸身分が議会を通して自らの団体的特権の実現を図ったり、王権を制限することは、例外的状況を除いてなかった。
軍制改革では銃兵隊が組織された。3千名ほどから世紀末には2万5千名に増えている。また軍での門地制の制限もおこなわれた。15〜16世紀にかけて成立した、任命に際して門地(家柄)が考慮される制度だったが、軍での混乱を引き起こしていた。1555〜56年に「勤務にかんする法令」が出され、貴族・士族が自ら騎馬で従軍すること、所領の広さに応じて兵を差し出すべきことが定められた。
政府は改革を進めるために、1497年法典の改正をはかり、1550年の法典が成立した。地方行政の改革(代官への監督強化)、士族層の経済的安定、修道院・貴族層の土地所有の制限など、中央集権化を目指している。農民の移転については、1497年法典のユーリーの日の規定がほぼ踏襲されている。
1550年代の改革によってロシア国家は格段に強化され、ヨーロッパ東辺境の強国となった。
ポサード 都市の商手工業地区
1540年代
世界各国史22 ロシア史
軍制改革では銃兵隊が組織された。3千名ほどから世紀末には2万5千名に増えている。また軍での門地制の制限もおこなわれた。15〜16世紀にかけて成立した、任命に際して門地(家柄)が考慮される制度だったが、軍での混乱を引き起こしていた。1555〜56年に「勤務にかんする法令」が出され、貴族・士族が自ら騎馬で従軍すること、所領の広さに応じて兵を差し出すべきことが定められた。
政府は改革を進めるために、1497年法典の改正をはかり、1550年の法典が成立した。地方行政の改革(代官への監督強化)、士族層の経済的安定、修道院・貴族層の土地所有の制限など、中央集権化を目指している。農民の移転については、1497年法典のユーリーの日の規定がほぼ踏襲されている。
1550年代の改革によってロシア国家は格段に強化され、ヨーロッパ東辺境の強国となった。
ポサード 都市の商手工業地区
1540年代
世界各国史22 ロシア史