
シュマルカルデン戦争
1544年フランスとの講和(クレピーの和約)を結んだカール5世は、1546年ルターの死後、新教諸侯とシュマルカルデン戦争(1546〜47)を始めた。新教同盟軍の重要人物ザクセン公モーリッツを選帝侯位で寝返らせ、勝利することができた。
皇帝は新教諸侯にさまざまな制約を提示し、1548年の帝国議会でカトリックに有利な「アウクスブルク仮信条協定」を定めて、新教諸侯にこれを強制した。
1540年代
世界各国史13 ドイツ史
皇帝は新教諸侯にさまざまな制約を提示し、1548年の帝国議会でカトリックに有利な「アウクスブルク仮信条協定」を定めて、新教諸侯にこれを強制した。
1540年代
世界各国史13 ドイツ史
北部ドイツで新教諸侯の反撃が始まった。モーリッツもルター派に戻り、インスブルックで皇帝を攻撃、1552年のパッサウ条約でプロテスタントは劣勢を回復した。
カール5世はその後フランスにも敗れ、メッツとブルゴーニュを失った。1555年のアウクスブルク宗教和議の翌年、カール5世は弟のフェルディナント(1世 国王在位1531〜64、皇帝在位1558〜64)に帝国を委ね、息子のフェリーペに帝国以外の領土を継承させて、スペインへ戻り引退した。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
カール5世はその後フランスにも敗れ、メッツとブルゴーニュを失った。1555年のアウクスブルク宗教和議の翌年、カール5世は弟のフェルディナント(1世 国王在位1531〜64、皇帝在位1558〜64)に帝国を委ね、息子のフェリーペに帝国以外の領土を継承させて、スペインへ戻り引退した。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史