
フランソワ1世 ネーデルラントに侵入
フランソワ1世は、フランス勢力の回復を図り、1534年ドイツのプロテスタント諸侯と秘密同盟を結び、35年にはカール5世と敵対するオスマン帝国と攻守同盟を結んだ。
1535年、カールがミラノ公国をハプスブルク家領とすると、フランソワは36年にサヴォイア公国を占領し、38年に両者は休戦条約を結んだ。
1540年代
1535年、カールがミラノ公国をハプスブルク家領とすると、フランソワは36年にサヴォイア公国を占領し、38年に両者は休戦条約を結んだ。
1540年代
1542年、フランソワ1世がネーデルラントに侵入したことで、両者の戦いが再開された。ネーデルラントも、1477年に解体した旧ブルゴーニュ公国の一部で、フランス国王とハプスブルク家は旧公国をめぐって対立していた。フランソワはオスマン帝国と、カールはイングランドと同盟して争ったが、1544年にクレピーの和約を結び、イタリアでのカールの覇権が再度確認された。
世界各国史15 イタリア史
世界各国史15 イタリア史