
コジモ1世(メディチ家) フィレンツェ公を自称
1537年、アレッサンドロが暗殺され、貴族たちはメディチ家弟脈(老コジモの弟ロレンツォ)のコジモ1世を後継者にした。コジモは皇帝から「フィレンツェ共和国の公」の称号と「共和国の政府と支配領域の長にして第一人者」の地位を得ると「フィレンツェ公」を自称した。コジモは徐々に貴族から権力を奪い、事実上の君主制を創り、貴族は廷臣となることで特権的地位を保証された。
コジモは共和制的な役職と権限が競合する、公が任命する新役職をつくり、従属都市出身の非フィレンツェ人有力者を任命して、その権限を拡大させた。経済政策でもフィレンツェ優先を抑えて、領域全体の振興を図った。
コジモは共和制的な役職と権限が競合する、公が任命する新役職をつくり、従属都市出身の非フィレンツェ人有力者を任命して、その権限を拡大させた。経済政策でもフィレンツェ優先を抑えて、領域全体の振興を図った。