
恩寵の巡礼 枢密院 ウェールズとの合同法
恩寵の巡礼
1536年にリンカンシァで始まった修道院解散反対の動きが、ヨークシァでジェントリや農民が加わった大規模な民衆蜂起になった。その要求は宗教的なものだけでなく、農民一揆や北部支配層の中央への反発などという性格も含んでいた。抵抗の後、鎮圧され首謀者200人が処刑された。
枢密院
中央では、国王評議会の規模が大きく効率が悪いということで、1536年頃に枢密院が独自の組織として整備され、政策決定の中枢機関となった。1540年頃には枢密院の司法関連の部門を扱う「星室裁判所」がつくられ、騒擾や国王布告違反などを扱い治安維持にあたった。
1530年代
世界各国史11 イギリス史
1536年にリンカンシァで始まった修道院解散反対の動きが、ヨークシァでジェントリや農民が加わった大規模な民衆蜂起になった。その要求は宗教的なものだけでなく、農民一揆や北部支配層の中央への反発などという性格も含んでいた。抵抗の後、鎮圧され首謀者200人が処刑された。
枢密院
中央では、国王評議会の規模が大きく効率が悪いということで、1536年頃に枢密院が独自の組織として整備され、政策決定の中枢機関となった。1540年頃には枢密院の司法関連の部門を扱う「星室裁判所」がつくられ、騒擾や国王布告違反などを扱い治安維持にあたった。
1530年代
世界各国史11 イギリス史
地方には有力貴族の支配下にあったり、特権に守られて、国王の意向が届かない地方があった。それらの地方で国王への権力の集中を図るために、王権による地方統治を司法・行政の面で進めたのが治安判事だった。イングランド北部には「恩寵の巡礼」の鎮圧後、1537年に「北部評議会」が統治機関として再編された。古くからの大貴族による支配が強く、王権による支配はエリザベスの時代になってからだった。
ウェールズとの「合同法」
1536年にウェールズとの「合同法」が成立し、ウェールズ辺境伯領が解体され、ウェールズ全体がイングランドと同様の「州」となった。国会議員の議席が配分され、治安判事がおかれ、イングランドの法が施行され、英語が公用語になった。ウェールズの支配層からは差別解消であるとして歓迎された。ウェールズ語が広く使われていたため、エリザベスの時代にウェールズ語の聖書、礼拝が認められた。
ウェールズとの「合同法」
1536年にウェールズとの「合同法」が成立し、ウェールズ辺境伯領が解体され、ウェールズ全体がイングランドと同様の「州」となった。国会議員の議席が配分され、治安判事がおかれ、イングランドの法が施行され、英語が公用語になった。ウェールズの支配層からは差別解消であるとして歓迎された。ウェールズ語が広く使われていたため、エリザベスの時代にウェールズ語の聖書、礼拝が認められた。