
クリスチャン3世 王位を承認される
デンマーク王としてのクリスチャン2世(在位1513〜23)は、都市経済を育成し、外国人や優れた平民を雇う俸給官僚制を採った。一方で、ハンザ同盟の特権を削り、貴族の分権的支配や教会の独立を制限した。都市市民からの支持を得たが、貴族の反乱をまねき、1523年に亡命、のちに投獄された。
大貴族・教会はフレゼリク1世(在位1523〜33)を擁立して、貴族、教会、ハンザ同盟の特権を復活させた。フレゼリクは国民経済の自立・成長と、中央政府建設の必要性を理解していた。ヴィッテンベルクで学んだハンス・タウセンが福音主義の説教を始めると、フレゼリクは彼を教会の圧力から守った。
フレゼリクは教会がローマに支払っていたものを王が受け取るように教会に申し入れ、教会はこれを拒否した。1526・27年、フレゼリクはオーゼンセに身分制議会を召集して、承認されないときはクリスチャン2世を呼び戻すと脅し、教皇の役割を王が代行するという名目で承認された。教会の国教会化が始まった。
1530年代
世界各国史21 北欧史
大貴族・教会はフレゼリク1世(在位1523〜33)を擁立して、貴族、教会、ハンザ同盟の特権を復活させた。フレゼリクは国民経済の自立・成長と、中央政府建設の必要性を理解していた。ヴィッテンベルクで学んだハンス・タウセンが福音主義の説教を始めると、フレゼリクは彼を教会の圧力から守った。
フレゼリクは教会がローマに支払っていたものを王が受け取るように教会に申し入れ、教会はこれを拒否した。1526・27年、フレゼリクはオーゼンセに身分制議会を召集して、承認されないときはクリスチャン2世を呼び戻すと脅し、教皇の役割を王が代行するという名目で承認された。教会の国教会化が始まった。
1530年代
世界各国史21 北欧史
1533年にフレゼリクを継いだ長子クリスチャン(スレースヴィ公、デンマーク王クリスチャン3世 在位1534/36〜59)はルター派だった。対立する教会、王国参事会、ハンザ同盟側のオルデンブルク伯クリストファがリューベックの軍隊を率いてスコーネとシェラン島を占領して戦争になった(1534〜36年 伯爵戦争)。クリストファは獄中のクリスチャン2世を王にすると宣言したので、都市民と農民は反乱側を支持した。クリスチャン(3世)はグスタヴ・ヴァーザに助力を求め、グスタヴはスウェーデンでのリューベックの特権を奪うために、これを利用した。
1536年、クリスチャン3世はコペンハーゲン攻囲戦に勝利し、7人のカトリック司教全員を逮捕、拘留し、釈放の際にはルター派改革に抵抗しないという条件をつけた。クリスチャン3世はコペンハーゲンに身分制議会を召集して、王位を承認された。議会は貴族、市民、農民で構成され聖職者は除かれていた。王は全耕地の3分の1を越える教会領を没収した。またこの議会ではノルウェーをデンマークのもう一つの州として扱うことも決定された。
1536年、クリスチャン3世はコペンハーゲン攻囲戦に勝利し、7人のカトリック司教全員を逮捕、拘留し、釈放の際にはルター派改革に抵抗しないという条件をつけた。クリスチャン3世はコペンハーゲンに身分制議会を召集して、王位を承認された。議会は貴族、市民、農民で構成され聖職者は除かれていた。王は全耕地の3分の1を越える教会領を没収した。またこの議会ではノルウェーをデンマークのもう一つの州として扱うことも決定された。