
皇帝カール5世 ボローニャ同盟
イタリアの覇者となった皇帝カール5世は、1529年11月からボローニャにイタリア諸国の代表を集めて会議を開き、領土の画定や支配者の確定などについて決定した。ミラノ公国は、回復可能な帝国領土として、スフォルツァ家のフランチェスコ2世に授封した。
1530年2月、ボローニャで教皇による皇帝戴冠をおこない、8月には教皇と連合してフィレンツェ共和国を降伏させ、メディチ家を復帰させた。
1533年から34年にかけて、ボローニャに再度イタリア諸国の代表を集めて、ヴェネツィアを除く「ボローニャ同盟」が結成された。
1530年代
世界各国史15 イタリア史
1530年2月、ボローニャで教皇による皇帝戴冠をおこない、8月には教皇と連合してフィレンツェ共和国を降伏させ、メディチ家を復帰させた。
1533年から34年にかけて、ボローニャに再度イタリア諸国の代表を集めて、ヴェネツィアを除く「ボローニャ同盟」が結成された。
1530年代
世界各国史15 イタリア史
カール5世は、皇帝、スペイン国王、妻の父ポルトガル王の同盟者だった。ローマ劫掠で教皇はイタリアでの政治的主導権を失い、ボローニャ同盟によって、カールは単独でイタリアを直接間接に支配できるようになった。
サルデーニャ王国、シチリア王国、ナポリ王国はスペインの属国で、1535年以降、ミラノ公国はハプスブルク家の所領になった。三王国には副王を、公国には総督を派遣して統治させた。イタリアで独立を維持した諸国には大使が派遣されたが、カールの支援で成立したフィレンツェ公国(のちのトスカーナ大公国)、独立を回復したジェノヴァ共和国をはじめ、諸国はカールの意向を無視できなかった。
サルデーニャ王国、シチリア王国、ナポリ王国はスペインの属国で、1535年以降、ミラノ公国はハプスブルク家の所領になった。三王国には副王を、公国には総督を派遣して統治させた。イタリアで独立を維持した諸国には大使が派遣されたが、カールの支援で成立したフィレンツェ公国(のちのトスカーナ大公国)、独立を回復したジェノヴァ共和国をはじめ、諸国はカールの意向を無視できなかった。