大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

王室主導でブラジル植民

1500年4月、ヴァスコ・ダ・ガマに続いてインドをめざしたペドロ・アルヴァレス・カブラルの艦隊によって発見されたブラジルは、1494年のトルデシーリャス条約でポルトガル領になっていた。沿岸部でトゥピ・グァラニ族と接触し、紅い染料になるブラジル木(パウ・ブラジル、蘇芳)が採取された。しかし、金・銀などのめぼしい産物がなかったため、植民は遅れていた。フランス人がブラジル木を目的に沿岸部へ現れるようになって、1532年王室主導でブラジル植民が始められた。沿岸部を15のカピタニアに分けて、その開発と統治の権利を一部の臣下に譲渡するカピタニア制がとられたが、充分な成果は得られなかった。
16世紀半ば頃から、サトウキビを栽培し製糖する農園(プランテーション)が増えてきた。ヨーロッパで砂糖の需要が急速に増えたためで、ぺルナンブーコとバイーアを中心に展開し、農園の数は1570年の60から、1629年には346になっていた。砂糖貿易は香辛料貿易とは異なり、国王に10%の租税を納めるだけの自由貿易だったため、地方都市からの比較的小資本の参入がみられた。ほかに綿花、タバコの栽培も増え、ブラジル木も収益をもたらしていた。16世紀末から17世紀初めにかけて、年間3000〜5000人がブラジル移民になっている。ブラジルのポルトガル人は16世紀半ばの2000人から16世紀末の2万5000人に増えている。

1530年代 ヨーロッパ史年表
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史