
第2次カペル戦争
ツヴィングリはスイス盟約者団という国を改造する方法を探り、1531年8月「5邦との係争においてチューリヒとベルンはなにを緊急とみなすべきか」を書いた。
5邦(原初3邦、ルツェルン、ツーク)を「共同支配地」の統治から排除することを主張。チューリヒとベルンが盟主となって、ほかの邦に命令権をもつ同盟にしようと考えていた。
しかしこの新スイス盟約者団構想を発表する前に、第2次カペル戦争となり改革派は敗れた。ツヴィングリに従ってチューリヒが傭兵制を厳しく禁止、チューリヒの軍事力は著しく低下していた。ツヴィングリも戦死してしまった。
5邦(原初3邦、ルツェルン、ツーク)を「共同支配地」の統治から排除することを主張。チューリヒとベルンが盟主となって、ほかの邦に命令権をもつ同盟にしようと考えていた。
しかしこの新スイス盟約者団構想を発表する前に、第2次カペル戦争となり改革派は敗れた。ツヴィングリに従ってチューリヒが傭兵制を厳しく禁止、チューリヒの軍事力は著しく低下していた。ツヴィングリも戦死してしまった。
1531年10月「カペル平和」が結ばれた。
第1条で、改革派・カトリック双方の信仰が容認された。1555年のアウクスブルク宗教和議を先取りしている。
第2条1項 各邦の「共同支配地」にたいする政治的権限は変わらない
第2条2項 「共同支配地」のゲマインデは
すでに改革派を受け入れている場合そのまま留まる。
カトリックに復帰したい場合それが許される。
改革派に不利で、のちのフィルメルゲン戦争の原因となる。
第4条 両陣営で結ばれていた同盟の解消。
宗教的対立を現状凍結、スイス分裂の危機を回避した。しかし対立は続いていく。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1530年代
第1条で、改革派・カトリック双方の信仰が容認された。1555年のアウクスブルク宗教和議を先取りしている。
第2条1項 各邦の「共同支配地」にたいする政治的権限は変わらない
第2条2項 「共同支配地」のゲマインデは
すでに改革派を受け入れている場合そのまま留まる。
カトリックに復帰したい場合それが許される。
改革派に不利で、のちのフィルメルゲン戦争の原因となる。
第4条 両陣営で結ばれていた同盟の解消。
宗教的対立を現状凍結、スイス分裂の危機を回避した。しかし対立は続いていく。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1530年代