
新教派諸侯 シュマルカルデン同盟結成
農民戦争が終わって1526年、シュパイヤーで帝国議会が開かれ、キリスト教信仰について議論がされた。皇帝カール5世は、ヴォルムスの勅令の実行を命じたが、反論もあって議会は現状維持を決定した。1529年の第2回シュパイヤー帝国議会、多数派がヴォルムスの勅令を再確認し、少数派は「その決議にたいして公に抗議する」ことを決定した。この「抗議する」プロテストするということばから、新教派一般を指すプロテスタントという名称が生まれた。
1530年代
世界各国史13 ドイツ史 世界史総合図録 山川出版社
1530年代
世界各国史13 ドイツ史 世界史総合図録 山川出版社
カール5世は1530年に、アウクスブルクで帝国議会を開くことにした。この議会でプロテスタントは、ルター派の正統教義となる、メランヒトンの「アウクスブルクの信仰告白」、ツヴィングリの「信仰箇条」、南ドイツの四都市信仰告白を示したが、カトリック側はこれに「駁論」を書き、それを皇帝も支持した。帝国議会はヴォルムスの勅令を確認した。プロテスタント諸侯は対抗して、1530年中部ドイツでシュマルカルデン同盟を結成した。皇帝もオスマン帝国のウィーン攻撃もあって、妥協を余儀なくされ、1532年プロテスタント諸侯とニュルンベルクで平和条約を締結した。
