
ジェノヴァ 自治を認められる
ジェノヴァは国内政治が不安定で、14世紀後半以降、しばしば外国の支配を受けていた。
1353〜1356 ミラノのヴィスコンティがシニョーレ
1396〜1409 フランスの支配
1421〜1436 ミラノのヴィスコンティがシニョーレ
1459〜1462 フランスの支配
1487〜1499 ミラノのスフォルツァがシニョーレ
1499〜1506 フランスの支配
以後抗争するフランス国王と皇帝のうち、そのときの勝者による支配を受けていた。
1528年、強力な私的艦隊を統率していたジェノヴァ人アンドレア・ドーリアは、奉仕相手をフランス国王から皇帝に変え、最強の艦隊提供と引き換えに、ドーリアがつくった寡頭政による母国の自治を皇帝に承認させた。
1560年のドーリアの死後、内乱が起きたが、1576年の制度改革で対立党派間の妥協が成立した。
1520年代
1353〜1356 ミラノのヴィスコンティがシニョーレ
1396〜1409 フランスの支配
1421〜1436 ミラノのヴィスコンティがシニョーレ
1459〜1462 フランスの支配
1487〜1499 ミラノのスフォルツァがシニョーレ
1499〜1506 フランスの支配
以後抗争するフランス国王と皇帝のうち、そのときの勝者による支配を受けていた。
1528年、強力な私的艦隊を統率していたジェノヴァ人アンドレア・ドーリアは、奉仕相手をフランス国王から皇帝に変え、最強の艦隊提供と引き換えに、ドーリアがつくった寡頭政による母国の自治を皇帝に承認させた。
1560年のドーリアの死後、内乱が起きたが、1576年の制度改革で対立党派間の妥協が成立した。
1520年代
1261年、ニンファイオン条約でニカイア(ニケーア)皇帝と同盟して、ヴェネツィアが支援するラテン帝国を破った、ジェノヴァはヴェネツィアと敵対関係になった。
1284年、メローリアの海戦でピサに完勝 ティレニア海の覇権
1298年、クルツォラ(ダルマツィア沖)の海戦でヴェネツィアを破ったが、政治的勝利にはできなかった。
1353年、ロイエーラ(サルデーニャ沖)の海戦でヴェネツィア・アラゴン同盟に敗れ、アラゴンのサルデーニャ支配を容認した。
1378〜80年のキオッジァの戦いでは、逆転でヴェネツィアに敗れ、81年のトリーノ条約でヴェネツィアとの「百年戦争」がジェノヴァ劣勢で終結した。
1453年、経営に苦労していたコルシカ島を企業組合サン・ジョルジョに委譲した。この組合は1407年に、政府と植民地の財政収入を担保とする、長期公債を管理するために設立されていた。翌1408年には銀行業務を始め、サン・ジョルジョ銀行と呼ばれるようになった。
世界各国史15 イタリア史
1284年、メローリアの海戦でピサに完勝 ティレニア海の覇権
1298年、クルツォラ(ダルマツィア沖)の海戦でヴェネツィアを破ったが、政治的勝利にはできなかった。
1353年、ロイエーラ(サルデーニャ沖)の海戦でヴェネツィア・アラゴン同盟に敗れ、アラゴンのサルデーニャ支配を容認した。
1378〜80年のキオッジァの戦いでは、逆転でヴェネツィアに敗れ、81年のトリーノ条約でヴェネツィアとの「百年戦争」がジェノヴァ劣勢で終結した。
1453年、経営に苦労していたコルシカ島を企業組合サン・ジョルジョに委譲した。この組合は1407年に、政府と植民地の財政収入を担保とする、長期公債を管理するために設立されていた。翌1408年には銀行業務を始め、サン・ジョルジョ銀行と呼ばれるようになった。
世界各国史15 イタリア史