
バーデン宗教討論会
1522年盟約者団会議が開催され、全邦に対して「新しい教説」を禁止し、印刷業の中心地チューリヒとバーゼルに宗教改革関連の書籍の印刷禁止を勧告した。
1524年4月には内陸のカトリック5邦(ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン、ルツェルン、ツーク)のみで会合し「新しい教説」の根絶を取り決めた。その後フリブール、ゾーロトゥルンも参加、事実上の分離同盟が結成され、チューリヒを盟約者団会議に呼ばないことを決定した。
1526年には盟約者団会議はバーデン宗教討論会を開催、高名なカトリックの神学者を呼びツヴィングリ派の神学者と討論させた。ツヴィングリはチューリヒ当局の指示で欠席。結論はツヴィングリとその支持者は破門、盟約者団会議もそれを支持した。バーデン宗教討論会はスイス版ヴォルムス帝国議会となった。
ツヴィングリは平和主義を転換、1526年には「戦略論」を起草、西南ドイツ都市やティロールの農民運動指導者など外部勢力との連携を考える。またツヴィングリの宗教改革思想も各地に広がっていった。
1527年4月従属都市ザンクト・ガレンが宗教改革化、5月司教都市コンスタンツが宗教改革を導入。1528年2月にはベルンが「宗教改革布告令」をだし、領邦教会体制を目指すことになった。
チューリヒは始めにコンスタンツと「キリスト教都市同盟」を結んだ。1528年から1529年にかけてベルン、ザンクト・ガレン、宗教改革を導入したバーゼル、シャフハウゼンが参加した。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1520年代
1524年4月には内陸のカトリック5邦(ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン、ルツェルン、ツーク)のみで会合し「新しい教説」の根絶を取り決めた。その後フリブール、ゾーロトゥルンも参加、事実上の分離同盟が結成され、チューリヒを盟約者団会議に呼ばないことを決定した。
1526年には盟約者団会議はバーデン宗教討論会を開催、高名なカトリックの神学者を呼びツヴィングリ派の神学者と討論させた。ツヴィングリはチューリヒ当局の指示で欠席。結論はツヴィングリとその支持者は破門、盟約者団会議もそれを支持した。バーデン宗教討論会はスイス版ヴォルムス帝国議会となった。
ツヴィングリは平和主義を転換、1526年には「戦略論」を起草、西南ドイツ都市やティロールの農民運動指導者など外部勢力との連携を考える。またツヴィングリの宗教改革思想も各地に広がっていった。
1527年4月従属都市ザンクト・ガレンが宗教改革化、5月司教都市コンスタンツが宗教改革を導入。1528年2月にはベルンが「宗教改革布告令」をだし、領邦教会体制を目指すことになった。
チューリヒは始めにコンスタンツと「キリスト教都市同盟」を結んだ。1528年から1529年にかけてベルン、ザンクト・ガレン、宗教改革を導入したバーゼル、シャフハウゼンが参加した。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1520年代
カトリック諸邦も1528年秋に「キリスト教連合」を結成、翌年4月オーストリアのフェルディナント国王も合流「古くて正しいキリスト教信仰にとどまる」とした。
カトリック7邦「キリスト教連合」
1ウーリ、2シュヴィーツ、3ウンターヴァルデン、4ルツェルン、
7ツーク、9フリブール、10ゾーロトゥルン
ツヴィングリ改革派4邦「キリスト教都市同盟」
5チューリヒ、8ベルン、11シャフハウゼン、12バーゼル
ザンクト・ガレンは従属都市
中立派2邦 6グラールス、13アペンツェル

1ウーリ、2シュヴィーツ、3ウンターヴァルデン、4ルツェルン、
7ツーク、9フリブール、10ゾーロトゥルン
ツヴィングリ改革派4邦「キリスト教都市同盟」
5チューリヒ、8ベルン、11シャフハウゼン、12バーゼル
ザンクト・ガレンは従属都市
中立派2邦 6グラールス、13アペンツェル