
フランソワ1世 パヴィーアの戦いで捕虜になる コニャック同盟
ハプスブルク家のカールは、1516年カルロス1世としてスペイン国王に即位し、19年には皇帝選挙でフランソワ1世を破って、カール5世として皇帝に即位した。
以後、カールとフランソワのあいだで4回のイタリア戦争となったが、1525年のパヴィーアの戦いでフランソワ1世が大敗して捕虜になった。
1526年のマドリードの和約で、フランソワはミラノとジェノヴァを放棄し、ナポリ王国とブルゴーニュ公領(14世紀のブルグンド王国崩壊後にフランス国王が創設した公領)のカールへの帰属を承認した。
以後、カールとフランソワのあいだで4回のイタリア戦争となったが、1525年のパヴィーアの戦いでフランソワ1世が大敗して捕虜になった。
1526年のマドリードの和約で、フランソワはミラノとジェノヴァを放棄し、ナポリ王国とブルゴーニュ公領(14世紀のブルグンド王国崩壊後にフランス国王が創設した公領)のカールへの帰属を承認した。
しかし同年、解放されたフランソワはその直後にこの和約を破棄した。フランソワは、皇帝の勢力拡大を危惧する、メディチ家出身の教皇クレメンス7世とフィレンツェ、ミラノなどと「コニャック同盟」を結んで、カールに再び対抗した。
1520年代
世界各国史15 イタリア史
1520年代
世界各国史15 イタリア史