
農民戦争
1524年、ドイツのシュヴァルツヴァルトで農民蜂起が始まった。ルターによって示された旧体制への批判の気運は、農民たちの間にも広がっていた。1525年にはドイツ全域の3分の1に広がったことから農民戦争と呼ばれる農民蜂起は25年に頂点を迎え、その年のうちにほぼ全面的に鎮圧された。
オーバーシュヴァーベンの「12箇条」と呼ばれる要求書が、その精神を伝えているとされる。2ヵ月の間に2万5千部が刷られ、広く読まれた。
主な内容は
共同体による聖職者の選出・罷免権(第1条)
十分の一税の共同体による運営(第2条)
農奴制の廃止(第3条)
賦役の軽減(第6条)
それらの要求を「神のことば」に基づいて審理すること(第12条)など。
オーバーシュヴァーベンの「12箇条」と呼ばれる要求書が、その精神を伝えているとされる。2ヵ月の間に2万5千部が刷られ、広く読まれた。
主な内容は
共同体による聖職者の選出・罷免権(第1条)
十分の一税の共同体による運営(第2条)
農奴制の廃止(第3条)
賦役の軽減(第6条)
それらの要求を「神のことば」に基づいて審理すること(第12条)など。
当初ルターは農民に同情的で、領主と農民のあいだで仲裁がなされるように勧告し、農民が「聖書」のことばに従うとする姿勢も評価していた。しかし「12箇条」が「神の国」と「現世の国」双方に関わっていることは否定した。ルターにとって重要なのは、信仰によってのみ義とされることで、「現世の国」のことは世俗の権力に委ねるべきだった。
ルターは戦い続ける農民たちを「狂犬」と呼び、領主たちにその排除を求め始めた。「もしあなたが狂犬を打たなければ、狂犬があなたを打つであろう」。
西南ドイツの諸侯や都市の同盟、シュヴァーベン同盟は、農民軍を壊滅させていった。ミュンツァーも農民軍を指揮したが、シュヴァーベン同盟軍に敗れ、捕らえられ殺害された。1525年ザルツブルクやティロールを残して、農民戦争はほぼ終わった。
1520年代
世界各国史13 ドイツ史
ルターは戦い続ける農民たちを「狂犬」と呼び、領主たちにその排除を求め始めた。「もしあなたが狂犬を打たなければ、狂犬があなたを打つであろう」。
西南ドイツの諸侯や都市の同盟、シュヴァーベン同盟は、農民軍を壊滅させていった。ミュンツァーも農民軍を指揮したが、シュヴァーベン同盟軍に敗れ、捕らえられ殺害された。1525年ザルツブルクやティロールを残して、農民戦争はほぼ終わった。
1520年代
世界各国史13 ドイツ史