
チューリヒ 公開討論会
チューリヒ市内で宗教的混乱が生じると、ツヴィングリは公開の宗教討論会開催を主張、1523年1月市参事会と諮って実現した。
都市と支配下の農村の全聖職者を市参事会館に出頭させ、ツヴィングリの教説について「聖書のみに基づき、ドイツ語で」討論するように命じられた。
ツヴィングリは討論会のために「67ヵ条の提題」をまとめ、400名をこえる聖職者が集まった。結論として、市参事会はツヴィングリに従来どおりの説教をし、都市および農村部の聖職者にも聖書によって証明できることのみを説教するように命じた。
信者の共同体の判断に基づく「共同体原理」による宗教改革の実現だった。この「公開討論会方式による」宗教改革の導入はスイスだけでなく、ドイツ各地の都市の宗教改革に利用されていく。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1520年代
都市と支配下の農村の全聖職者を市参事会館に出頭させ、ツヴィングリの教説について「聖書のみに基づき、ドイツ語で」討論するように命じられた。
ツヴィングリは討論会のために「67ヵ条の提題」をまとめ、400名をこえる聖職者が集まった。結論として、市参事会はツヴィングリに従来どおりの説教をし、都市および農村部の聖職者にも聖書によって証明できることのみを説教するように命じた。
信者の共同体の判断に基づく「共同体原理」による宗教改革の実現だった。この「公開討論会方式による」宗教改革の導入はスイスだけでなく、ドイツ各地の都市の宗教改革に利用されていく。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1520年代
その後「福音の説教」に基づく聖画像・ミサの廃止が議論の対象となり、1523年10月第2回の公開討論会が開かれた。これらのカトリック儀式の廃止が原則的に決められたが、その廃止時期をめぐって激しい対立が起きた。過激派は直ちに廃止することを主張、ツヴィングリは急な廃止で混乱が起きないよう廃止時期を市参事会に一任しようとした。1524〜25年にこれらは廃止され、宗教改革が進められた。
「共同体原理」による宗教改革運動は支配下の農村にも影響を与えた。農民は経済的・政治的要求を含めて改革を求めたが、都市当局は要求書を提出させ、農奴制廃止など一部の要求だけを受け入れて運動を終息させた。
過激派は地域住民全てを含むツヴィングリのゲマインデ(教会)観では充分な改革ができないとして、真のキリスト者、少数の宗教的エリートによるゲマインデ観を提示し、徹底した改革を求めた。ゲマインデの構成メンバーになる儀式として成人洗礼をおこなった。正統派からは再洗礼とみなされ、再洗礼派は溺殺刑などによって厳しく弾圧されたが、スイスに続きドイツ農民戦争に敗れた農民、その後ドイツ・オランダ各地に広がった。
「共同体原理」による宗教改革運動は支配下の農村にも影響を与えた。農民は経済的・政治的要求を含めて改革を求めたが、都市当局は要求書を提出させ、農奴制廃止など一部の要求だけを受け入れて運動を終息させた。
過激派は地域住民全てを含むツヴィングリのゲマインデ(教会)観では充分な改革ができないとして、真のキリスト者、少数の宗教的エリートによるゲマインデ観を提示し、徹底した改革を求めた。ゲマインデの構成メンバーになる儀式として成人洗礼をおこなった。正統派からは再洗礼とみなされ、再洗礼派は溺殺刑などによって厳しく弾圧されたが、スイスに続きドイツ農民戦争に敗れた農民、その後ドイツ・オランダ各地に広がった。