
マヌエル法典 中央集権化政策
アヴィス朝の王たちは権力強化を図っていた。ジョアン1世は身分に関わりなく全臣民に租税シザを課した。アフォンソ5世(在位1438〜81)の摂政ペドロ親王(在任1439〜49)も46年に「アフォンソ法典」を発布して法制面での国内統合を進めようとした。しかし、15世紀半ば、アフォンソ5世の親政期には貴族の反抗があり、モロッコ・タンジール遠征や対カスティーリャ戦参加の報償として多くの王領地が貴族に譲渡され、爵位の数も4倍に増えた。
ジョアン2世(在位1481〜95)はブラガンサ公ら大貴族の力をそぎ、中小貴族に本国や拠点帝国の官職を与えて宮廷貴族としていった。マヌエル1世(在位1495〜1521)の治世では宮廷人が4000人にもなり、中央の行政・裁判機関として「宮廷控訴院」が新設され、地方の行政・裁判の管区として6つの州が定着した。州長官(コレジェドール)の権限を強化し、貴族の所領への立ち入りを認めさせた。コンセーリョごとに異なる特許状(フォラル)は改定・統合されて、コンセーリョは自治権を奪われた。
ジョアン2世(在位1481〜95)はブラガンサ公ら大貴族の力をそぎ、中小貴族に本国や拠点帝国の官職を与えて宮廷貴族としていった。マヌエル1世(在位1495〜1521)の治世では宮廷人が4000人にもなり、中央の行政・裁判機関として「宮廷控訴院」が新設され、地方の行政・裁判の管区として6つの州が定着した。州長官(コレジェドール)の権限を強化し、貴族の所領への立ち入りを認めさせた。コンセーリョごとに異なる特許状(フォラル)は改定・統合されて、コンセーリョは自治権を奪われた。
1521年に公布された「マヌエル法典」には国王の中央集権化政策の成果が示されている。海外交易による莫大な収益が財政基盤になっていた。コルテスはアフォンソ5世の治世では毎年開催されたが、ジョアン2世以後その頻度は低下し、1502年から44年の間には3回しか召集されていない。国王はコルテスに課税の承認を求める必要がなくなっていった。
マヌエル1世即位時にキリスト騎士団が、ジョアン3世の治世にサンティアゴ騎士団とアヴィス騎士団が王室に統合され、王領地が国土の半分以上を占めることになった。
1527〜32年に国勢調査がおこなわれた。総人口は約140万人。リスボンは海外貿易と行政の中心として急速に拡大し、16世紀半ばには10万人に達して、イベリア半島最大の都市になっていた。
1520年代 ヨーロッパ史年表
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
マヌエル1世即位時にキリスト騎士団が、ジョアン3世の治世にサンティアゴ騎士団とアヴィス騎士団が王室に統合され、王領地が国土の半分以上を占めることになった。
1527〜32年に国勢調査がおこなわれた。総人口は約140万人。リスボンは海外貿易と行政の中心として急速に拡大し、16世紀半ばには10万人に達して、イベリア半島最大の都市になっていた。
1520年代 ヨーロッパ史年表
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史