
皇帝カール5世 選出
マクシミリアンの後継者になったのは、1506年にフィリップが急死していたため、孫のスペイン国王カルロス1世だった。カルロス1世は、フッガー家の融資を受けて、フランス国王フランソワ1世を退け、1519年ドイツ国王に選出されカール5世(国王在位1519〜56、皇帝在位1530〜56)となった。
ドイツの帝国諸侯は、国王選挙の際にカールに「選挙協約」を要請し受け入れられていた。「選挙協約」を起草したのは、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢公。フリードリヒはマインツ大司教ベルトルド・フォン・へネベルクと同志の帝国改革派で、1500年に帝国統治院総裁になっている。また1502年にはヴィッテンベルクに人文主義の新しい大学を創設している。
1510年代
世界各国史13 ドイツ史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房
ドイツの帝国諸侯は、国王選挙の際にカールに「選挙協約」を要請し受け入れられていた。「選挙協約」を起草したのは、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢公。フリードリヒはマインツ大司教ベルトルド・フォン・へネベルクと同志の帝国改革派で、1500年に帝国統治院総裁になっている。また1502年にはヴィッテンベルクに人文主義の新しい大学を創設している。
1510年代
世界各国史13 ドイツ史
地図 ヨーロッパ歴史地図 原書房
「選挙協約」は全33条
教会の守護
ラント平和の保障
帝国の基本法・金印勅書の承認
「ドイツ人」からのみなる帝国統治院の設置
帝国の文書にドイツ語またはラテン語を用いること
教皇特権の濫用と戦うこと
帝国追放は正規の手続きに従うこと
皇帝の相続を明示的に断念すること などを定めている。
カール5世はアーヘンでの就任式の前にこれを誓約した。
1521年、カール5世はヴォルムスの帝国議会でラント平和令を制定した。1495年の永久平和令を更新したもの。
1532年にはカール5世刑事裁判令(カロリナ刑法典)を公布している。平和違反者にたいする処罰を独立化させ法典化したもので、公権的な刑法・刑事訴訟法典を帝国ではじめて制定した。
教会の守護
ラント平和の保障
帝国の基本法・金印勅書の承認
「ドイツ人」からのみなる帝国統治院の設置
帝国の文書にドイツ語またはラテン語を用いること
教皇特権の濫用と戦うこと
帝国追放は正規の手続きに従うこと
皇帝の相続を明示的に断念すること などを定めている。
カール5世はアーヘンでの就任式の前にこれを誓約した。
1521年、カール5世はヴォルムスの帝国議会でラント平和令を制定した。1495年の永久平和令を更新したもの。
1532年にはカール5世刑事裁判令(カロリナ刑法典)を公布している。平和違反者にたいする処罰を独立化させ法典化したもので、公権的な刑法・刑事訴訟法典を帝国ではじめて制定した。
