
皇帝選挙と王室経費 コムニダーデス反乱
1519年、カルロスの祖父マクシミリアンが死去し、神聖ローマ皇帝選挙がおこなわれた。カルロスはスペインの宗教騎士団領・鉱山などの収入を担保に、フッガー家の資金援助を受けて、対立候補のフランス王フランソワ1世を抑えることができた。
翌年カルロスは皇帝戴冠のためスペインを離れるが、選挙資金の返済を含む王室経費を捻出するため、コルテスを召集してあらたな上納金を可決させた。これが諸都市の怒りを呼んだ。トレド、セゴビアなどの都市住民は、防衛の誓約団体(コムニダー)を結んで、コムニダーデスと呼ばれる反王権反乱を起こした。国王がフランドル人の側近を優遇し、国王不在中の総督にハドリアン・フォン・ユトレヒト(のちの教皇ハドリアヌス6世)を任命したことに、貴族の目は冷たかった。
反乱者コムネーロスは、カスティーリャ中央部の諸都市をほぼ結集し、フアナの住むトルデシーリャスを占領した。諸都市が結成した聖会議は上納金の撤回、帝国よりスペイン王国の利害を優先させること、コルテスが王権制約の権限をもつことなどを要求した。
1510年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
翌年カルロスは皇帝戴冠のためスペインを離れるが、選挙資金の返済を含む王室経費を捻出するため、コルテスを召集してあらたな上納金を可決させた。これが諸都市の怒りを呼んだ。トレド、セゴビアなどの都市住民は、防衛の誓約団体(コムニダー)を結んで、コムニダーデスと呼ばれる反王権反乱を起こした。国王がフランドル人の側近を優遇し、国王不在中の総督にハドリアン・フォン・ユトレヒト(のちの教皇ハドリアヌス6世)を任命したことに、貴族の目は冷たかった。
反乱者コムネーロスは、カスティーリャ中央部の諸都市をほぼ結集し、フアナの住むトルデシーリャスを占領した。諸都市が結成した聖会議は上納金の撤回、帝国よりスペイン王国の利害を優先させること、コルテスが王権制約の権限をもつことなどを要求した。
1510年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
1520年秋になると、農民の反領主運動が活発になった。これに対し大貴族たちは、王権による社会秩序の回復を望んで、国王支持へと変わった。コムネーロスの内部分裂もあり、1521年4月ビリャラールの戦いで国王軍が勝利して反乱は終わった。
コムネーロスは手工業擁護の立場から、羊毛の輸出を制限して国内の毛織物業者にまわすように求め、大牧羊群を所有する貴族・修道院とメリノ種羊毛輸出に携わるブルゴスの大商人は輸出拡大をめざし、フランドルの毛織物業者も羊毛確保を願っていた。はじめは王権の制約に同調していたブルゴスだったが、羊毛輸出大商人によって国王側に立場を変えた。反乱鎮圧後も、羊毛輸出は制限されず、メスタ(移動牧畜業者組合)は発展し、1526年には350万頭の羊群を擁していた。
同じ頃、バレンシアやマジョルカでも反乱が起こっていたが、カタルーニャに同調する動きはなく、カスティーリャとの連携もなかった。スペイン王国内部の諸国には連帯性が生まれていなかった。
国王カルロス1世は、皇帝カール5世としてハプスブルク家の利害がからむ帝国政策を進めていくが、スペインの諸都市とコルテスにはそれを抑えることはできなかった。
コムネーロスは手工業擁護の立場から、羊毛の輸出を制限して国内の毛織物業者にまわすように求め、大牧羊群を所有する貴族・修道院とメリノ種羊毛輸出に携わるブルゴスの大商人は輸出拡大をめざし、フランドルの毛織物業者も羊毛確保を願っていた。はじめは王権の制約に同調していたブルゴスだったが、羊毛輸出大商人によって国王側に立場を変えた。反乱鎮圧後も、羊毛輸出は制限されず、メスタ(移動牧畜業者組合)は発展し、1526年には350万頭の羊群を擁していた。
同じ頃、バレンシアやマジョルカでも反乱が起こっていたが、カタルーニャに同調する動きはなく、カスティーリャとの連携もなかった。スペイン王国内部の諸国には連帯性が生まれていなかった。
国王カルロス1世は、皇帝カール5世としてハプスブルク家の利害がからむ帝国政策を進めていくが、スペインの諸都市とコルテスにはそれを抑えることはできなかった。