
エンリケ4世 イサベルを王位継承者に指名
フアン2世を継いだエンリケ4世(1454〜74)の時代、カスティーリャ王国では、国王顧問会議の国政上の位置づけをめぐって、国王側近と有力貴族が対立していた。下級貴族と文官が国王顧問会議の大多数を占め、王権の権力基盤となっていた。有力貴族は国王顧問会議を再編し、王権を制約しようとして1465年、エンリケ4世を廃位し、王女フアナは嫡出ではないとして、王弟アルフォンソを新王に推戴した。しかし諸都市とエルマンダー・へネラルは、貴族権力の強化が都市の自治権を侵害する懸念を抱き、教皇パウルス2世とともにエンリケ4世支持を表明した。
1460年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
1460年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
オルメードでの戦いになって、有力貴族が敗退し新王アルフォンソも急逝した。
エンリケ4世は反乱派貴族との和解による王権の安定を優先させ、1468年ロス・トロス・デ・ギサンド協定を締結した。この協定でエンリケは異母妹イサベルを王位継承者に指名した。イサベルは反乱派貴族とのつながりを保っていて、エンリケとの緊張が続いた。1469年イサベルは王位継承を確実にするために、アラゴン連合王国の王太子フェルナンドと結婚することを決めた。イサベルはエンリケ4世没後、フアナ派貴族などとの王位継承戦争を克服して、1479年のカスティーリャ王国とアラゴン連合王国の同君連合国家実現へと向かう。
エンリケ4世は反乱派貴族との和解による王権の安定を優先させ、1468年ロス・トロス・デ・ギサンド協定を締結した。この協定でエンリケは異母妹イサベルを王位継承者に指名した。イサベルは反乱派貴族とのつながりを保っていて、エンリケとの緊張が続いた。1469年イサベルは王位継承を確実にするために、アラゴン連合王国の王太子フェルナンドと結婚することを決めた。イサベルはエンリケ4世没後、フアナ派貴族などとの王位継承戦争を克服して、1479年のカスティーリャ王国とアラゴン連合王国の同君連合国家実現へと向かう。