
ルイ11世
1461年ルイ11世(在位1461〜83)が王位を継いだ。
イングランドとの戦いは終わったが、王領地が限られていて、フランス国王の権力基盤は確立していなかった。古くからの名門貴族は、13世紀に王権によって克服されていたが、王家の次子、三子が親王采地(領地)を与えられて形成された領国が、国家の中の国家として勢力を伸ばしていた。親王たちは采地を受領するときに、臣従の誓いをすることがなく、独立の君主のように行動した。自らの判断で他国の王と臣従関係に入り、フランス国王の利益を害することもあった。
代表格のブルゴーニュ大公は低地地方を領有することで、アンジュー家はロレーヌ地方を領有することで、神聖ローマ帝国に領土をもっていた。シャルル・ドルレアンは母方の権利からミラノ大公領の相続を求めていた。シャルル7世の末期に、これらの解決が図られたが実現しなかった。
イングランドとの戦いは終わったが、王領地が限られていて、フランス国王の権力基盤は確立していなかった。古くからの名門貴族は、13世紀に王権によって克服されていたが、王家の次子、三子が親王采地(領地)を与えられて形成された領国が、国家の中の国家として勢力を伸ばしていた。親王たちは采地を受領するときに、臣従の誓いをすることがなく、独立の君主のように行動した。自らの判断で他国の王と臣従関係に入り、フランス国王の利益を害することもあった。
代表格のブルゴーニュ大公は低地地方を領有することで、アンジュー家はロレーヌ地方を領有することで、神聖ローマ帝国に領土をもっていた。シャルル・ドルレアンは母方の権利からミラノ大公領の相続を求めていた。シャルル7世の末期に、これらの解決が図られたが実現しなかった。
ルイ11世は即位すると、ただちに過激な措置をとった。役人を大量に解雇し、聖職者への課税を試み、貴族の特権と年金を廃止し、大貴族に国王への優先奉仕を内容とする臣従の誓いを強制しようとした。貴族の反発は強く、ブルゴーニュ大公シャルル豪胆公を中心とした反国王同盟がつくられた。
大柄でポルトガル王女の母から受け継いだ褐色の肌をもち、厳しい容貌のシャルル豪胆公と「見栄えのしない容貌と貧弱で曲がった手足で、訥弁で粗末な衣服」のルイ11世の対立だった。勝利したのは、蜘蛛のように策謀の網の目を張りめぐらし、獲物がかかるのを物陰からじっと待つ根気を持ったルイだった。(同時代の歴史家フィリップ・ド・コミーヌ)
1477年のナンシーの戦いで敗れた、ブルゴーニュ大公の領国は瓦解した。
1460年代
世界各国史12 フランス史
大柄でポルトガル王女の母から受け継いだ褐色の肌をもち、厳しい容貌のシャルル豪胆公と「見栄えのしない容貌と貧弱で曲がった手足で、訥弁で粗末な衣服」のルイ11世の対立だった。勝利したのは、蜘蛛のように策謀の網の目を張りめぐらし、獲物がかかるのを物陰からじっと待つ根気を持ったルイだった。(同時代の歴史家フィリップ・ド・コミーヌ)
1477年のナンシーの戦いで敗れた、ブルゴーニュ大公の領国は瓦解した。
1460年代
世界各国史12 フランス史