
アルフォンソ5世 ナポリ王位継承
「アラゴンの王子たち」のひとり、フェルナンド1世の次子フアンは、1425年王位継承権を持つブランカと結婚し、ナバーラ王フアン1世となった。1458年、兄のアラゴン王アルフォンソ5世が嫡子なく死去すると、ナポリ王国を除くアラゴン連合王国を相続し、アラゴン王フアン2世(在位1458〜79)として即位した。
アルフォンソ5世時代に始められたブスカによる改革は、ビガが多数を占めるジェネラリタートやコルテスの反対もあって失敗に終わった。通貨切り下げによる混乱は、手工業者を直撃し彼らの多くがブスカから離れる原因ともなった。1462年ブスカは市政を手放した。ブスカを支持していたフアン2世にとっても打撃だった。
ビガはフアン2世と対立していた王太子ビアナ公カルロス支持を表明、フアン2世はナバーラに避難し、ビガが市政を掌握した。ブスカの指導者だった市参事会員が処刑され、その衝撃はカタルーニャ全域に広がり、各地で武力抗争が起こった。
1450年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
アルフォンソ5世時代に始められたブスカによる改革は、ビガが多数を占めるジェネラリタートやコルテスの反対もあって失敗に終わった。通貨切り下げによる混乱は、手工業者を直撃し彼らの多くがブスカから離れる原因ともなった。1462年ブスカは市政を手放した。ブスカを支持していたフアン2世にとっても打撃だった。
ビガはフアン2世と対立していた王太子ビアナ公カルロス支持を表明、フアン2世はナバーラに避難し、ビガが市政を掌握した。ブスカの指導者だった市参事会員が処刑され、その衝撃はカタルーニャ全域に広がり、各地で武力抗争が起こった。
1450年代
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
フアン2世は、カタルーニャのアラゴン連合王国離脱を防ぐため、ルシヨンとセルダーニュの割譲を条件に、フランス王ルイ11世に軍事援助を要請した。フランス軍がルシヨンに侵攻すると、バルセロナ民兵軍は、フアン2世の新しい王妃が滞在するヘローナを占拠し内乱が始まった。レメンサ農民が反領主闘争を再燃させ、ルシヨンでは反フランス暴動が発生した。さらにバルセロナの反乱指導者が、カスティーリャ王エンリケ4世を国王に推挙し、カスティーリャ軍がカタルーニャに侵攻した。国際紛争化する恐れもあったが、エンリケ4世とフアン2世が妥協して、国王推挙は撤回された。
1464年フアン2世がレリダを攻略、69年のフアン2世と新しい王妃の息子で、カルロスの死後に王太子となっていたフェルナンドとエンリケ4世の異母妹イサベルの結婚によって状況が好転、1472年にバルセロナを奪還した。10年にわたる内乱でバルセロナは衰退、カタルーニャ再建は次のフェルナンド2世に委ねられた。
フェルナンドとイサベルの結婚は、アラゴン側から見るとカスティーリャとの同盟を目的としたものだった。
1464年フアン2世がレリダを攻略、69年のフアン2世と新しい王妃の息子で、カルロスの死後に王太子となっていたフェルナンドとエンリケ4世の異母妹イサベルの結婚によって状況が好転、1472年にバルセロナを奪還した。10年にわたる内乱でバルセロナは衰退、カタルーニャ再建は次のフェルナンド2世に委ねられた。
フェルナンドとイサベルの結婚は、アラゴン側から見るとカスティーリャとの同盟を目的としたものだった。