
オーストリア公アルブレヒト ハンガリー・ボヘミア王位 皇帝位
皇帝ジギスムントが男子を残さず死去してルクセンブルク家は断絶した。ジギスムントの一人娘エルジェーベトがオーストリア公、ハプスブルク家のアルブレヒト5世(在位1404〜39)と結婚していたため、アルブレヒトがハンガリーとボヘミアの王位と皇帝位(皇帝アルブレヒト2世 在位1438〜39)を継ぐことになった。ハプスブルク家が皇帝位に就くのは約130年ぶりだった。しかしボヘミアの聖杯派と都市勢力はポーランドのカジミェシュ4世を国王に望んでいた。またハンガリーの貴族にはジギスムントの改革は不評で、新国王アルブレヒトに旧状に戻すことと外国人を重用しないように求めていた。
1439年オスマン帝国の攻勢が本格化し、ハンガリーでは軍勢が召集されたが、陣中で疫病が流行、アルブレヒトも病死してしまった。彼の死後生まれたラディスラウスはオーストリア大公位とボヘミア王位は相続したが名目的なものだった。
1439年オスマン帝国の攻勢が本格化し、ハンガリーでは軍勢が召集されたが、陣中で疫病が流行、アルブレヒトも病死してしまった。彼の死後生まれたラディスラウスはオーストリア大公位とボヘミア王位は相続したが名目的なものだった。
1411年以降ハプスブルク家の世襲領は3つに分かれていた。アルブレヒト分家はボヘミア諸邦に接する下オーストリアを統治(1457年のラディスラウスの死で断絶する)。レオポルド分家は2つに分かれ、シュタイアーマルクなどの内オーストリアをフリードリヒ5世(在位1424〜93)、ティロール地方はジギスムント公(在位1439〜90)が統治していた。
1440年2月シュタイアーマルクのフリードリヒがアルブレヒト2世を継いで皇帝となった(皇帝フリードリヒ3世 在位1440〜93)。フリードリヒは1452年ローマで皇帝戴冠式をおこなった。教皇から帝冠を授かった最後の皇帝。皇帝としては、その権力基盤が内オーストリアのみで小さく、1358年の「大特許状」を皇帝として承認し、オーストリアの地位向上を図っている。
1430年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史
1440年2月シュタイアーマルクのフリードリヒがアルブレヒト2世を継いで皇帝となった(皇帝フリードリヒ3世 在位1440〜93)。フリードリヒは1452年ローマで皇帝戴冠式をおこなった。教皇から帝冠を授かった最後の皇帝。皇帝としては、その権力基盤が内オーストリアのみで小さく、1358年の「大特許状」を皇帝として承認し、オーストリアの地位向上を図っている。
1430年代
世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史