大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

古チューリヒ戦争

アールガウ占領までの盟約者団の戦いは防衛的性格が強かった。しかし各邦が膨張政策をとるようになると、各邦同士の衝突が生まれてくる。
1436〜50年の古チューリヒ戦争は内乱に発展してしまった。
1436年、トッゲンブルク伯家が断絶した。伯家と協定を結んでいたチューリヒ、シュヴィーツ、グラールスが伯家の所領支配をめぐって争うことになった。トッゲンブルク伯領はチューリヒ湖に隣接するオーバー湖、ヴァーレン湖の周辺にあり、セプティマー峠(近くの都市はクール)を越えてイタリアと結ぶ交易道路が通っていた。チューリヒは自己の支配領に入れたかったし、シュヴィーツやグラールスにとっても勢力を伸ばせる唯一の方向だった。
外交ではシュヴィーツが上手でチューリヒの公益道路をおさえた、そのためチューリヒはシュヴィーツとグラールスを食糧封鎖にした。この争いにウーリとウンターヴァルデンがシュヴィーツ側に立って参戦、チューリヒは皇帝位に就いていたハプスブルク家フリードリヒ3世に援助を求めた。チューリヒ同盟ではチューリヒの外交自主権が留保されていたが、スイスの敵、ハプスブルク家との同盟は感情的には許されない。
スイス盟約者団は一致してチューリヒとハプスブルク家に宣戦布告。1443年チューリヒ郊外ザンクト・ヤーコプで勝利した。
屈服したチューリヒは再起を図り、百年戦争を終えていたフランスに助勢を求めた。フランス王シャルル7世はバーゼル近郊のザンクト・ヤーコプでの戦いは勝ったが、スイス国内に軍を進めることはできなかった。
盟約者団連合軍は事実上の勝利を得、チューリヒは盟約者団への帰参が認められた。トッゲンブルク伯領はシュヴィーツ・グラールス2邦の共同支配地となった。

世界各国史14 スイス・ベネルクス史 1430年代