
アラスの和約
1435年9月、シャルル7世は、ブルゴーニュ大公フィリップとアラスの和約を結んで和解し、イングランドと対決した。フランス軍は弓兵隊を中心にした編成になり、1450年にフォルミー、1453年にカスチヨンでイングランド軍に勝利して、カレーを残してイングランドの勢力をフランスから駆逐した。
イングランド王ヘンリ6世の国璽尚書は公文書で「フランス王にしてイングランド王」という称号をしばらく使ったが、1066年のノルマン・コンクェストから続いた、一体としての両国の歴史は終わりを迎えた。
世界各国史12 フランス史
1430年代
イングランド王ヘンリ6世の国璽尚書は公文書で「フランス王にしてイングランド王」という称号をしばらく使ったが、1066年のノルマン・コンクェストから続いた、一体としての両国の歴史は終わりを迎えた。
世界各国史12 フランス史
1430年代
1435年、フィリップ善良公はフランス王シャルル7世と「アラスの和約」を結んだ。フィリップはイギリス支援をやめ、王はフィリップの父ジャン無怖公の暗殺を謝罪し、殺害場所モントローの橋に十字架を立て、ディジョン、パリ、ローマ、サンティアゴ・デ・コンポステーラに聖堂を建設することになった。さらに、フィリップは王への封建的臣従礼を免除され、ブーローニュ、オーセール、マコンの諸伯領とソンム川流域のアミアンのほか、いくつかの都市を手に入れた。
この頃からディジョンに代わって、ネーデルラントの都市に宮廷が置かれるようになり、フィリップはブリュージュを好んだ。
世界美術大全集14 北方ルネサンス
この頃からディジョンに代わって、ネーデルラントの都市に宮廷が置かれるようになり、フィリップはブリュージュを好んだ。
世界美術大全集14 北方ルネサンス