
コジモ・デ・メディチ フィレンツェの実権を掌握
フィレンツェでは国家財政が膨張し、政府の権力が拡大して、同職組合や豪族の同族結社などの権力が縮小した。団体の保護を失った個人が現れたが、その多くは、私的な人間関係のなかに保護を求めた。有力者同士の友人・親族関係を中心に役職への就任、公債割当の軽減などをめぐる利益団体がつくられ、保護・追従関係(クリエンテリズモ)によって中層・下層にまで拡がった。
利益団体は政治党派に発展して、諸党派による権力闘争の結果、1434年、メディチ家を中心とする党派が勝ち残った。メディチ派は、共和主義思想が強いフィレンツェで、共和制の機構を利用して、形式上は合法的に権力を独占した。
利益団体は政治党派に発展して、諸党派による権力闘争の結果、1434年、メディチ家を中心とする党派が勝ち残った。メディチ派は、共和主義思想が強いフィレンツェで、共和制の機構を利用して、形式上は合法的に権力を独占した。
諸大国との断続的な戦いのために設置された、強大な権限を持つ非常大権委員会をおさえて、政敵の弾圧と自派の要職就任をおこなった。本来、臨時で短期間の委員会を常設機関として、自派による恒常的な権力独占を実現した。
メディチ家の(老)コジモは、自派の権力が安定すると、官職には就かず、公共事業(ルネサンス)にも私費を投じた。
1430年代
世界各国史15 イタリア史
メディチ家の(老)コジモは、自派の権力が安定すると、官職には就かず、公共事業(ルネサンス)にも私費を投じた。
1430年代
世界各国史15 イタリア史