
スウェーデン ダーラナ人蜂起
ダーラナの農民・鉱業小生産者たちは王に直訴することにした。代表はエンゲルブレクト、中規模鉱業経営者で13世紀に移住したドイツ人の子孫だった。2度コペンハーゲンに出かけたが、王からは侮蔑的な扱いを受けた。1433年ダーラナ人たちが蜂起して、翌年にはスウェーデン全土に反乱が広まった。エンゲルブレクトはスウェーデン王国参事会に反乱を認知させ、1435年アールブーガに集められた諸身分の代表によって王国の司令官職に任ぜられた。
この集会は正式な機関・国会ではないが、国民の意思形成のために全国規模で人々が集まったことから、最初のスウェーデン議会(全国身分制議会)とされることがある。
1436年、エンゲルブレクトは暗殺されたが、反乱は貴族カール・クヌートソンを指導者として続き、エーリク王はカルマルでの連合会議で、連合を維持する範囲内での各国の平等と主権を約束した。ノルウェーでも反乱が起きて、反乱は敗れたが1437年に同様の約束があたえられた。
この集会は正式な機関・国会ではないが、国民の意思形成のために全国規模で人々が集まったことから、最初のスウェーデン議会(全国身分制議会)とされることがある。
1436年、エンゲルブレクトは暗殺されたが、反乱は貴族カール・クヌートソンを指導者として続き、エーリク王はカルマルでの連合会議で、連合を維持する範囲内での各国の平等と主権を約束した。ノルウェーでも反乱が起きて、反乱は敗れたが1437年に同様の約束があたえられた。
1439年デンマークとスウェーデンの参事会はエーリクを廃位した。エーリクの甥クリストファ・ア・バイエルンが各国の王として承認された。(デンマーク1440年、スウェーデン41年、ノルウェー42年)連合は主権国家のゆるい連合として続くことになった。クリストファが各国貴族とかわした誓約は、各国の自主性を保証し貴族の既得権を認めていた。連合と各国の中央集権への指向は止まることになった。
エンゲルブレクトから始まるスウェーデンの離脱運動は、デンマーク王権による支配からの解放だけではなく、古くからの自由(免税)な生きかたを脅かす中央集権的王権への対抗でもあった。またスウェーデンの犠牲の上に、ハンザ同盟からの自立をめざすデンマーク王権に対するスウェーデンの利害を主張してもいた。
1430年代
世界各国史21 北欧史
エンゲルブレクトから始まるスウェーデンの離脱運動は、デンマーク王権による支配からの解放だけではなく、古くからの自由(免税)な生きかたを脅かす中央集権的王権への対抗でもあった。またスウェーデンの犠牲の上に、ハンザ同盟からの自立をめざすデンマーク王権に対するスウェーデンの利害を主張してもいた。
1430年代
世界各国史21 北欧史