
ジグムント大公就任 グロドノの合同
リトアニアでは1430年にポーランド王ヤギェウォの弟シヴィドリギェウォが大公に就任したが、分離主義が再燃した。不平等を強いられているルーシ系勢力を騎士団が後援していた。
1432年リトアニアのカトリック勢力とポーランドはヴィトルドの弟ジグムントをあらたな大公として、西ポドレをポーランド王冠領に併合した(グロドノの合同)。また1434年には、リトアニアの貴族特権を強化して、大公国内のルーシ・正教系ボヤール(貴族・騎士)に私法面でカトリックとの同権が認められ、翌年には王冠領でも認められた。
1432年リトアニアのカトリック勢力とポーランドはヴィトルドの弟ジグムントをあらたな大公として、西ポドレをポーランド王冠領に併合した(グロドノの合同)。また1434年には、リトアニアの貴族特権を強化して、大公国内のルーシ・正教系ボヤール(貴族・騎士)に私法面でカトリックとの同権が認められ、翌年には王冠領でも認められた。
ルーシのハリチや西ポドレにもポーランドの法体系と地方官職制度が導入されて、ルーシ県、ポドレ県と呼ばれるようになった。分離主義の抵抗は1435年のヴィウコミエシの戦いで終わった。しかし1440年、ジグムント大公が暗殺され、オレシニツキの政府が王の名代としてヴワディスワフの弟カジミエシ・ヤギェロンチクを派遣すると、リトアニア人は独断で彼を大公にした。
1430年代
世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史
1430年代
世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史
