
ジャン無畏公
1404年フィリップ豪胆公を嗣いだのがジャン無畏公(恐れ知らずのジャン 在位1404〜19)。
上訴権を強化して公の裁判へ都市裁判を従属させ、公の裁判官に都市裁判に介入する権利を認めた。
フランス王シャルル6世が精神を病んでいたため、後見役をジャンが務め1407年以降パリにとどまるようになった。
1407年政敵ルイ・ドルレアン(シャルル5世の息子)を暗殺させると、ルイ・ドルレアンの妻の父(舅)アルマニャック伯ベルナール7世のもとに反ブルゴーニュの党派(アルマニャック派)が南フランスの貴族を中心に結成された。
ジャンのもとには北部・東部の貴族が集まった。(ブルゴーニュ派)
1415年アザンクールの戦いでフランスが敗北、ジャンはフランス王国の政治を掌握し、息子フィリップをシャルル6世の娘と結婚させるなど英仏の有力諸侯と結んだが、1419年アルマニャック派に暗殺された。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
世界各国史12 フランス史 1400年代
上訴権を強化して公の裁判へ都市裁判を従属させ、公の裁判官に都市裁判に介入する権利を認めた。
フランス王シャルル6世が精神を病んでいたため、後見役をジャンが務め1407年以降パリにとどまるようになった。
1407年政敵ルイ・ドルレアン(シャルル5世の息子)を暗殺させると、ルイ・ドルレアンの妻の父(舅)アルマニャック伯ベルナール7世のもとに反ブルゴーニュの党派(アルマニャック派)が南フランスの貴族を中心に結成された。
ジャンのもとには北部・東部の貴族が集まった。(ブルゴーニュ派)
1415年アザンクールの戦いでフランスが敗北、ジャンはフランス王国の政治を掌握し、息子フィリップをシャルル6世の娘と結婚させるなど英仏の有力諸侯と結んだが、1419年アルマニャック派に暗殺された。
世界各国史14 スイス・ベネルクス史
世界各国史12 フランス史 1400年代
