
エンリケ2世即位 トラスタマラ朝
1350年ジブラルタルを攻囲していたアルフォンソ11世(在位1312〜50)がペストで死去し、ペドロ1世(在位1350〜69)が王位を継いだ。ペドロ1世は王権強化策をとり、有力貴族を弾圧。ユダヤ人や下級貴族出身者を登用し、コルテスを軽視した。
1366年ペドロ1世の異母弟エンリケ・デ・トラスタマラが、カスティーリャ貴族の多くを結集して蜂起した。エンリケはアラゴン王ペドロ4世、百年戦争中のフランス王権、フランス人傭兵と提携し、ペドロ1世はグラナダ王と結び、北部ビスカーヤ公領の割譲を条件に、イギリスのエドワード黒太子に軍事援助を求めた。
1367年のナヘラの戦いでペドロ1世がエンリケを破ったが、ビスカーヤ公領の割譲に消極的だったことからエドワード黒太子が離れた。エンリケはペドロ1世が、キリスト教徒の犠牲の上にユダヤ人を保護する「残忍王」だとする「黒い伝説」を広めた。
1369年のモンティエールの戦いでペドロ1世は戦死し、エンリケはエンリケ2世(在位1369〜79)として即位、トラスタマラ朝が始まった。
1360年代
1366年ペドロ1世の異母弟エンリケ・デ・トラスタマラが、カスティーリャ貴族の多くを結集して蜂起した。エンリケはアラゴン王ペドロ4世、百年戦争中のフランス王権、フランス人傭兵と提携し、ペドロ1世はグラナダ王と結び、北部ビスカーヤ公領の割譲を条件に、イギリスのエドワード黒太子に軍事援助を求めた。
1367年のナヘラの戦いでペドロ1世がエンリケを破ったが、ビスカーヤ公領の割譲に消極的だったことからエドワード黒太子が離れた。エンリケはペドロ1世が、キリスト教徒の犠牲の上にユダヤ人を保護する「残忍王」だとする「黒い伝説」を広めた。
1369年のモンティエールの戦いでペドロ1世は戦死し、エンリケはエンリケ2世(在位1369〜79)として即位、トラスタマラ朝が始まった。
1360年代
エンリケ2世の権力基盤は不安定で、ペドロ1世支持派の貴族や都市の抵抗があった。王は支持派貴族への論功行賞として王領地や爵位を恵与し、下級貴族を有力貴族へ昇格させた。以後、旧来の有力貴族の多くが没落・断絶し、「旧貴族」から「新貴族」へと勢力が移っていった。「新貴族」は領主裁判権(流通税徴収権を含む)などで、世俗大所領を作り上げ権力基盤を強化した。
エンリケ2世は王国の再建と権力正当化のためにコルテスを頻繁に開催、1371年には国王裁判所を再編し、高等法院(アウディエンシア)を開設して王権の安定をはかった。
フランスとの同盟を対外関係の基軸としていたエンリケにとって、ペドロ1世の王女と結婚し、カスティーリャの王位継承権を主張していたランカスター公ジョンが脅威だった。イングランドとの関係悪化は、カスティーリャのフランドル貿易にも障害となった。エンリケはフランス王シャルル5世と呼応してラ・ロシェル港を封鎖、イングランド艦隊を撃破して、ビスケー湾とドーヴァー海峡の制海権を掌握した。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史
エンリケ2世は王国の再建と権力正当化のためにコルテスを頻繁に開催、1371年には国王裁判所を再編し、高等法院(アウディエンシア)を開設して王権の安定をはかった。
フランスとの同盟を対外関係の基軸としていたエンリケにとって、ペドロ1世の王女と結婚し、カスティーリャの王位継承権を主張していたランカスター公ジョンが脅威だった。イングランドとの関係悪化は、カスティーリャのフランドル貿易にも障害となった。エンリケはフランス王シャルル5世と呼応してラ・ロシェル港を封鎖、イングランド艦隊を撃破して、ビスケー湾とドーヴァー海峡の制海権を掌握した。
世界各国史16 スペイン・ポルトガル史