
シャルル5世 即位
身代金調達のため一時解放されたジャン2世が、不首尾のままロンドンに戻り、1364年に客死して、摂政として統治していた長男シャルルが、シャルル5世として即位した(在位1364〜80)。シャルルは病弱で、両手が半ば麻痺していたが、知恵と分別は備えていた。聖書やアリストテレスの著作を手元に置き、のちのフランス国立図書館の蔵書の核となる書物を蒐集した。また中世最初の経済学の書とされる「貨幣論」の著者を側近として登用するなど、国土の再建と文化の発展につくした。
軍事面でシャルルを支えたのが、ブルターニュの郷紳で元帥に任命されたデュ・ゲクラン。ノルマンディをイングランド側から奪回し、ブレティニー・カレー条約で失職して野盗化していた傭兵たちをスペイン・カスティーリャの戦線へ連れ出した。
軍事面でシャルルを支えたのが、ブルターニュの郷紳で元帥に任命されたデュ・ゲクラン。ノルマンディをイングランド側から奪回し、ブレティニー・カレー条約で失職して野盗化していた傭兵たちをスペイン・カスティーリャの戦線へ連れ出した。
1368年ウェールズ大公の家臣だったアルマニャック伯ジャンが、主君への竈(かまど)税の支払いを拒否して「ギュイエンヌ大公ならびに大公領の宗主」のフランス国王に訴えた。パリの高等法院で審理が始まったが、ウェールズ大公が喚問を拒否したこともあって、ギュイエンヌ没収の判決が下された。
再び戦いが始まったが、フランス側が優勢になって、イングランドの拠点は南にボルドー、ダクス、ベヨンヌ周辺、北にカレーを残すだけになった。(ブルターニュとコタンタン半島にあらたな勢力圏をつくっていた)
1377年にエドワード3世とウェールズ大公が死去し、1380年にはフランスでシャルル5世とデュ・ゲクランが死去している。
1360年代
世界各国史12 フランス史
再び戦いが始まったが、フランス側が優勢になって、イングランドの拠点は南にボルドー、ダクス、ベヨンヌ周辺、北にカレーを残すだけになった。(ブルターニュとコタンタン半島にあらたな勢力圏をつくっていた)
1377年にエドワード3世とウェールズ大公が死去し、1380年にはフランスでシャルル5世とデュ・ゲクランが死去している。
1360年代
世界各国史12 フランス史