大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

マゼラン9

1521年3月16日フィリピンに着いたマゼランは翌日、無人島のホモホン島に上陸した。その日が聖ラザロの日だったので、初めはサン・ラザロ諸島と名付けられ、後に皇太子フェリペにちなんでフィリピナス諸島と改名された。
18日には近くのスルアン島から9人の男がやってきた。マゼランたちは彼らを「理知をそなえた人たち」と呼び、食糧を持ってきてくれるように頼んでいる。3月22日スルアン島の人々が約束の食糧を持って来た。病人を回復させるため8日間この島に滞在した。
25日昼過ぎ西へ向かった。その直前釣りをしていたピガフェッタが海に落ちたが、大声を出して助けられている。28日リマサワ島に着いた。そこで出会った人たちにマゼランの奴隷エンリケの言葉が通じた。ミンダナオ島ブトゥアン地方の首長コランブが狩りのために来ていた。彼には弟のカラガン地方の首長ラジャ・シャインがいた。
翌日マゼランはエンリケを連れて王のところに行って、交換で食糧を譲ってもらうことにし、友好関係を結ぶことを提案している。またピガフェッタともう1人が招かれて歓待されている。
3月最終日は日曜日で復活祭だった。マゼランたちはミサをあげ高い山の頂上に十字架を立てた。コランブに補給に都合のいい島を尋ねるとセブ島をあげ、案内人をつけることを約束した。
翌日出発の準備をしていると、コランブが食糧の準備のため2日待つように伝えて来た。その間交易をし7日滞在したリマサワ島を発った。
セブ島に着いたのは4月7日。マゼランは大砲の一斉射撃を行わせて入港した。乗組員の代表とエンリケに王を訪ねさせ、一斉射撃は表敬であること、交換で食糧が欲しいことを伝えた。 そのときシャム(タイ)から交易船が来ていて、ポルトガル人がマラバル海岸やマラッカを占領したことをあげ、王に注意するように警告した。

赤い丸がマゼランが死亡したマクタン島、
青い丸がコンセプシオン号を焼却した場所。