マゼラン10
セブ島を出たスペイン船隊はボホール島で傷みの激しいコンセプシオン号を焼却した。乗組員は115人ほどに減っていた。モルッカ諸島の方向が全く分からなかったらしく西のパラワン島を経て、7月8日ボルネオのブルネイに着いた。翌日8人の長老がプラウ(単帆の快速船)に乗って訪れた。それから6日後3隻のプラウが来て、スペイン人の代表が王への贈り物を持って上陸した。大臣邸でもてなされ、翌日王宮へ向かうと、その前にはレンガの厚い壁が築かれ、青銅製と鉄製の大砲が据えられていた。
マラッカが占領されたため、ブルネイが交易の中心地となっていた。スペイン人が求めたのは交易の許可とモルッカ諸島への水先案内だったが、彼らの来訪はブルネイを緊張させた。
マゼラン 世界周航 マゼラン11 ティドーレ島を出発
大航海時代叢書1 フィリピンおよびモルッカ諸島
マラッカが占領されたため、ブルネイが交易の中心地となっていた。スペイン人が求めたのは交易の許可とモルッカ諸島への水先案内だったが、彼らの来訪はブルネイを緊張させた。
マゼラン 世界周航 マゼラン11 ティドーレ島を出発
7月29日100隻を超えるプラウとトゥングリ(小舟)がスペイン船隊の方に向かって来た。その前日には多数のジャンクが船隊の背後に入っていた。乗っ取りを恐れたスペイン側は先制攻撃をかけて出帆した。そのとき3人が上陸していたが、釈放が認められず見捨てられた。
水先案内もなくブルネイを出たスペイン船隊は近くの小島で42日かけて船の修理をした。9月27日修理を終えたスペイン船隊はトリニダー号の船長にエスピノザ、ヴィクトリア号の船長にエルカーノが就いて出発した。
海賊船のように出会う船を襲い、積荷を奪って、水先案内人を探した。その結果ピガフェッタは「北東に行くことをやめて南東に向かった」と書いている。 ミンダナオ島の南サランガニで力づくで水先案内を捕まえ、サンギル諸島に沿って南下し、1521年11月6日モルッカ諸島が見えた。
水先案内もなくブルネイを出たスペイン船隊は近くの小島で42日かけて船の修理をした。9月27日修理を終えたスペイン船隊はトリニダー号の船長にエスピノザ、ヴィクトリア号の船長にエルカーノが就いて出発した。
海賊船のように出会う船を襲い、積荷を奪って、水先案内人を探した。その結果ピガフェッタは「北東に行くことをやめて南東に向かった」と書いている。 ミンダナオ島の南サランガニで力づくで水先案内を捕まえ、サンギル諸島に沿って南下し、1521年11月6日モルッカ諸島が見えた。