大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

マゼラン7

マゼランは全ての船の船長と航海長を旗艦に集めた。食糧は3ヶ月分残っていて航海を続けることが決められた。ただサン・アントニオ号の航海長エステヴァン・ゴメスはスペインに戻ることを主張した。
11月初め4隻の船隊は海峡に入った。中で水路が分かれたので、南東に向かうサン・アントニオ号とコンセプシオン号、南西に向かうトリニダー号とヴィクトリア号に分かれて進んだ。トリニダー号のマゼランはブルンスウィック半島南端で北西に向かう水路にでた。ボートに十分な装備をさせて調べさせると、3日後、岬と大きな海を見て戻って来た。
マゼランは合流点に戻った。南東に向かった2隻のうちコンセプシオン号は戻ってきたがサン・アントニオ号の行方が分からなかった。2隻はサン・アントニオ号が先に進み、コンセプシオン号から見えなくなって、そのまま出会っていなかった。マゼランはサン・アントニオ号を6日間待ってから、ヴィクトリア号を海峡の入り口まで戻らせて手紙を入れた土器に旗を立てて置かせ、船隊の進路が分かるようにした。
サン・アントニオ号は3日目に合流点に戻っていた。そして他の3隻を3~4日探したが見つからないため乗組員たちはスペインへの帰航を決めた。しかしこの決定に船長メスキータは反対した。ゴメスとメスキータは互いに傷つけ合い、メスキータが逮捕された。ヘロニモ・デ・ゲラを船長として1521年5月セビリャに戻った。
マゼラン 世界周航 マゼラン8 太平洋を西へ