マゼラン11
ティドーレ島に入港したのは11月8日。翌日ティドーレ王アルマンソールが訪ねて来た。アルマンソールは対立するテルナテがポルトガルと同盟していることからスペインとの友好関係を望んでいた。
8ヶ月前テルナテ王の総司令官セラーン(マゼランのいとこ)がティドーレ王によって毒殺され、その10日後テルナテ王バヤン・シルラーが妃(バチアン王の娘)によって毒殺されていた。ティドーレ王にとっては巻き返しのチャンスだった。
11月11日テルナテの王子のひとりチェチリ・デ・ロイクスが訪ねて来た。ポルトガル人ロローザの手紙を持っていた。
1512年からテルナテにいたロローザはスペイン船隊の動きをよく知っていた。ポルトガル王はマゼラン船隊がモルッカ諸島に来て、ポルトガルの香料貿易独占を破るのを恐れ、マラッカから頻繁に船を送り警戒していた。強く誘われたロローザはスペインに協力することになった。
大航海時代叢書1 モルッカ諸島附近図
8ヶ月前テルナテ王の総司令官セラーン(マゼランのいとこ)がティドーレ王によって毒殺され、その10日後テルナテ王バヤン・シルラーが妃(バチアン王の娘)によって毒殺されていた。ティドーレ王にとっては巻き返しのチャンスだった。
11月11日テルナテの王子のひとりチェチリ・デ・ロイクスが訪ねて来た。ポルトガル人ロローザの手紙を持っていた。
1512年からテルナテにいたロローザはスペイン船隊の動きをよく知っていた。ポルトガル王はマゼラン船隊がモルッカ諸島に来て、ポルトガルの香料貿易独占を破るのを恐れ、マラッカから頻繁に船を送り警戒していた。強く誘われたロローザはスペインに協力することになった。
バチアン島にポルトガル人が集めた丁字が残っていることを知った、ティドーレ王はそれを引き取りに行った。その間にジャイロロ王が訪れ、スペイン人への協力を約束した。
11月24日ティドーレ王が丁字を持って戻り、テルナテからも丁字が入った。武器に興味を示したティドーレ王に小銃と小型の砲、火薬が贈られ、スペイン船は水と薪を調達した。
マクシミリアーノはモルッカ諸島の住民を「すべてひどく低劣で、彼らは不潔きわまる人たちであり、教育も清潔さもまったく見られない」と記しているが、注目すべきものとして「香料を豊富に産することと、このうえない平和と静寂があること」をあげている。
12月18日にティドーレ島を出港することになった。このときトリニダー号が浸水し始め、ティドーレ王が修理を約束した。21日ヴィクトリア号だけが先に出発した。
マゼラン 世界周航 マゼラン12 ヴィクトリア号帰還
11月24日ティドーレ王が丁字を持って戻り、テルナテからも丁字が入った。武器に興味を示したティドーレ王に小銃と小型の砲、火薬が贈られ、スペイン船は水と薪を調達した。
マクシミリアーノはモルッカ諸島の住民を「すべてひどく低劣で、彼らは不潔きわまる人たちであり、教育も清潔さもまったく見られない」と記しているが、注目すべきものとして「香料を豊富に産することと、このうえない平和と静寂があること」をあげている。
12月18日にティドーレ島を出港することになった。このときトリニダー号が浸水し始め、ティドーレ王が修理を約束した。21日ヴィクトリア号だけが先に出発した。
マゼラン 世界周航 マゼラン12 ヴィクトリア号帰還