コルテス政略誌4
モンテスーマの使者が帰って、数日後、北西に30kmにあるセンポアラの領主の使節が訪ねてきた。食料不足に苦しんでいたスペイン人はセンポアラへ向かった。その都市が大きいのに驚いたスペイン人は食事をもてなされ、贈り物を受け取った。そこに住むトトナコ人は数年前からメシコの支配下に置かれていた。太った領主の黄金の装飾品はすべて持ち去られ、多くの貢ぎ物と大勢の人身御供のための子供たちを毎年要求されていた。太った領主はコルテス(ケツァルコアトル)の援助を受けることを期待していた。
数日後メシコの収税吏がセンポアラに着いた。トトナコ人は緊張して彼らを迎えた。もてなされた収税吏たちはスペイン人に食料を提供したことを見とがめ、センポアラは罰として20人ずつの少年少女を差し出すことになった。
コルテスはこの事態を有効に使う方法を考えた。まずセンポアラの領主に収税吏5人を捕らえさせた。うち2人を密かに脱出させ、モンテスーマの下へ行かせた。太った領主を収税吏たちを逃亡させたと非難し、残る3人をスペイン船に連行した。
モンテスーマは事態を確認するため2人の甥を海岸に派遣した。コルテスは収税吏2人と引き合わせ、モンテスーマを訪問する途中だと伝えている。モンテスーマはスペイン人が帰ってからトトナコ人を処罰するつもりだったらしい。
コルテスはセンポアラの北10kmの所に新しくベラクルスの街を建設した。そこに司令官サン・ホアン・デ・エスカランテと守備兵として行軍が厳しい兵士(老齢・病人)を残すことにした。トトナコ人はこの処置に安心し、8人の娘を提供して有力なスペイン人と結婚させようとした。コルテスは彼女たちがキリスト教徒になること、トトナコ人が彼らの神を捨てることを条件とした。
コルテスはトトナコ人の神殿を破壊した。これは危険な賭けだったが、彼らに受け入れさせることができた。ケツァルコアトルは人身御供を嫌っていたため、トトナコ人もやむを得ないと思ったらしい。
数日後メシコの収税吏がセンポアラに着いた。トトナコ人は緊張して彼らを迎えた。もてなされた収税吏たちはスペイン人に食料を提供したことを見とがめ、センポアラは罰として20人ずつの少年少女を差し出すことになった。
コルテスはこの事態を有効に使う方法を考えた。まずセンポアラの領主に収税吏5人を捕らえさせた。うち2人を密かに脱出させ、モンテスーマの下へ行かせた。太った領主を収税吏たちを逃亡させたと非難し、残る3人をスペイン船に連行した。
モンテスーマは事態を確認するため2人の甥を海岸に派遣した。コルテスは収税吏2人と引き合わせ、モンテスーマを訪問する途中だと伝えている。モンテスーマはスペイン人が帰ってからトトナコ人を処罰するつもりだったらしい。
コルテスはセンポアラの北10kmの所に新しくベラクルスの街を建設した。そこに司令官サン・ホアン・デ・エスカランテと守備兵として行軍が厳しい兵士(老齢・病人)を残すことにした。トトナコ人はこの処置に安心し、8人の娘を提供して有力なスペイン人と結婚させようとした。コルテスは彼女たちがキリスト教徒になること、トトナコ人が彼らの神を捨てることを条件とした。
コルテスはトトナコ人の神殿を破壊した。これは危険な賭けだったが、彼らに受け入れさせることができた。ケツァルコアトルは人身御供を嫌っていたため、トトナコ人もやむを得ないと思ったらしい。
コルテスは乗ってきた船全てを海岸に引き上げ、完全に破壊した。それはキューバとの連絡を絶つ(ベラスケスの支配から逃れる)とともに、百人を超える水兵を兵士として使うことにもなった。もちろん退路を断つことを意味した。
8月15日、300人の武装兵と15人騎兵は、トトナコ人将校40人と担ぎ人を連れて内陸部へ向かった。ベラクルスには守備兵として150人が残った。それまでに100人の兵士を失っていたことになる。
最初に着いた標高1327mのハラーパはトトナコ人と同盟を結んでいて、歓迎された。
20日最初の峠を寒さに耐えて越え、砂漠を通って24日、空腹と疲労のなかでソコトラ(果樹の豊穣)に着いた。ソコトラはモンテスーマの支配地で、何の指示も受けていなかったためスペイン人たちには粗末な食事が与えられた。ソコトラの人々からティノティチトランについての情報を得ることができ、トトナコ人の話からソコトラの人たちも黄金の装飾品などを差し出した。
次に向かったのがトラシュカーラ(豊かなパンの場所)。何度もモンテスーマの攻撃を退けて独立を維持し、訓練された大勢の軍隊を持っていた。コルテスはソコトラを発つときに同盟を求めてトトナコ人の使者を派遣した。トラシュカーラ人もコルテスの噂を聞いていなかった。使者を迎えた彼らはコルテスの申し出がモンテスーマの罠ではないかと考えた。トラシュカーラを支配していた4つの都市の代表による「4者委員会」は6万人の軍隊でコルテスに対抗することを決め、使者を人身御供要員として捕らえた。
大航海時代年表 コルテス3 コルテス5
8月15日、300人の武装兵と15人騎兵は、トトナコ人将校40人と担ぎ人を連れて内陸部へ向かった。ベラクルスには守備兵として150人が残った。それまでに100人の兵士を失っていたことになる。
最初に着いた標高1327mのハラーパはトトナコ人と同盟を結んでいて、歓迎された。
20日最初の峠を寒さに耐えて越え、砂漠を通って24日、空腹と疲労のなかでソコトラ(果樹の豊穣)に着いた。ソコトラはモンテスーマの支配地で、何の指示も受けていなかったためスペイン人たちには粗末な食事が与えられた。ソコトラの人々からティノティチトランについての情報を得ることができ、トトナコ人の話からソコトラの人たちも黄金の装飾品などを差し出した。
次に向かったのがトラシュカーラ(豊かなパンの場所)。何度もモンテスーマの攻撃を退けて独立を維持し、訓練された大勢の軍隊を持っていた。コルテスはソコトラを発つときに同盟を求めてトトナコ人の使者を派遣した。トラシュカーラ人もコルテスの噂を聞いていなかった。使者を迎えた彼らはコルテスの申し出がモンテスーマの罠ではないかと考えた。トラシュカーラを支配していた4つの都市の代表による「4者委員会」は6万人の軍隊でコルテスに対抗することを決め、使者を人身御供要員として捕らえた。
大航海時代年表 コルテス3 コルテス5