大航海時代とルネサンス2018
大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

コルテス政略誌4

モンテスーマの使者が帰って、数日後、北西に30kmにあるセンポアラの領主の使節が訪ねてきた。食料不足に苦しんでいたスペイン人はセンポアラへ向かった。その都市が大きいのに驚いたスペイン人は食事をもてなされ、贈り物を受け取った。そこに住むトトナコ人は数年前からメシコの支配下に置かれていた。太った領主の黄金の装飾品はすべて持ち去られ、多くの貢ぎ物と大勢の人身御供のための子供たちを毎年要求されていた。太った領主はコルテス(ケツァルコアトル)の援助を受けることを期待していた。
数日後メシコの収税吏がセンポアラに着いた。トトナコ人は緊張して彼らを迎えた。もてなされた収税吏たちはスペイン人に食料を提供したことを見とがめ、センポアラは罰として20人ずつの少年少女を差し出すことになった。
コルテスはこの事態を有効に使う方法を考えた。まずセンポアラの領主に収税吏5人を捕らえさせた。うち2人を密かに脱出させ、モンテスーマの下へ行かせた。太った領主を収税吏たちを逃亡させたと非難し、残る3人をスペイン船に連行した。
モンテスーマは事態を確認するため2人の甥を海岸に派遣した。コルテスは収税吏2人と引き合わせ、モンテスーマを訪問する途中だと伝えている。モンテスーマはスペイン人が帰ってからトトナコ人を処罰するつもりだったらしい。
コルテスはセンポアラの北10kmの所に新しくベラクルスの街を建設した。そこに司令官サン・ホアン・デ・エスカランテと守備兵として行軍が厳しい兵士(老齢・病人)を残すことにした。トトナコ人はこの処置に安心し、8人の娘を提供して有力なスペイン人と結婚させようとした。コルテスは彼女たちがキリスト教徒になること、トトナコ人が彼らの神を捨てることを条件とした。
コルテスはトトナコ人の神殿を破壊した。これは危険な賭けだったが、彼らに受け入れさせることができた。ケツァルコアトルは人身御供を嫌っていたため、トトナコ人もやむを得ないと思ったらしい。