コジモ1世礼讃
1494年、メディチ家を追放したフィレンツェ共和国政府は、その政治理念を反映した大会議室「五百人広間」を建造することにした。側壁にはレオナルドとミケランジェロによる戦勝の主題が描かれることになっていたが完成されず、1512年の共和制崩壊で広間の装飾は終わった。1527年の共和制復帰で会議室として復活したが装飾はおこなわれなかった。コジモ1世が宮廷をパラッツォ・ヴェッキオに移して、広間の装飾が再開された。
1563年にヴァザーリが提出した「コジモ1世礼讃」第1案のテーマは共和国フィレンツェの伝統を受け継ぐ「天上の栄光と至高の幸福のなかに置かれるフィオレンツァ(フィレンツェ)」で、周りを16の旗区と大小の組合(アルテ)が取り囲むものだった。
五百人広間 フィレンツェの美術 日本放送出版協会
天井中央にコジモ1世礼讃 奥に謁見用の壇
世界美術大全集15 マニエリスム 1560年代
1563年にヴァザーリが提出した「コジモ1世礼讃」第1案のテーマは共和国フィレンツェの伝統を受け継ぐ「天上の栄光と至高の幸福のなかに置かれるフィオレンツァ(フィレンツェ)」で、周りを16の旗区と大小の組合(アルテ)が取り囲むものだった。
五百人広間 フィレンツェの美術 日本放送出版協会
天井中央にコジモ1世礼讃 奥に謁見用の壇
世界美術大全集15 マニエリスム 1560年代
最終案ではコジモ一人が栄光化され、背後の童子は公爵冠、聖ステパノ騎士団の十字架、金羊毛騎士団の徽章を捧げていて、コジモが聖俗界を統御することが誇示されている。周りを都市の3つの紋章と21の大小組合の紋章が囲み、童子たちが雲の上のコジモを-仰ぎ見ている。コジモは古代ローマの将軍の装いで、背後にフィレンツェを従え、光の雲のなかに君臨している。
ジョルジョ・ヴァザーリ
コジモ1世礼讃
1563〜65年 板 油彩
フィレンツェ パラッツォ・ヴェッキオ
コジモ1世礼讃
1563〜65年 板 油彩
フィレンツェ パラッツォ・ヴェッキオ