カルミスの勝利(部分)
16世紀後半になると、芸術は国家の栄光化と教会の対抗宗教改革の教義普及に奉仕するものとなった。
サルヴィアーティは金工家のもとで修業し、精緻な素描で古代風事物を巧みに描く、中期マニエリスムの大様式フレスコ画を得意とした画家。1531年枢機卿ジョヴァンニ・サルヴィアーティに認められ、その保護者の名前で呼ばれるようになった。
この壁画は、コジモ1世の統治の正統性を示すために、フィレンツェ、パラッツォ・ヴェッキオの謁見の間に描かれた。古代ローマの将軍カルミスがヴェイイでエトルリア人に勝利して領地を拡大したことを、コジモ1世のモンテムルロの勝利、トスカーナ公国の拓大にたとえたもの。
世界美術大全集15 マニエリスム
謁見の間(部分) 1540年代
サルヴィアーティは金工家のもとで修業し、精緻な素描で古代風事物を巧みに描く、中期マニエリスムの大様式フレスコ画を得意とした画家。1531年枢機卿ジョヴァンニ・サルヴィアーティに認められ、その保護者の名前で呼ばれるようになった。
この壁画は、コジモ1世の統治の正統性を示すために、フィレンツェ、パラッツォ・ヴェッキオの謁見の間に描かれた。古代ローマの将軍カルミスがヴェイイでエトルリア人に勝利して領地を拡大したことを、コジモ1世のモンテムルロの勝利、トスカーナ公国の拓大にたとえたもの。
世界美術大全集15 マニエリスム
謁見の間(部分) 1540年代
下図はカルミスのヴェイイでの戦いの「凱旋=勝利」。ヴェイイから戦利品としてユノの彫像をローマへ持ち帰る挿話は、エレオノーラと結婚したコジモのたとえになっている。
古代的主題を描くための考古学的細部や、馬や兵士で満ちた画面、精密な描写はサルヴィアーティが得意としたもので、ジュリオ・ロマーノやペリン・デル・ヴァーガからの影響がみられる。
馬車を先導するように壺を頭上に掲げて歩く女性は、ギルランダイオ「洗礼者聖ヨハネの誕生(1485〜90)」を思わせる。
サルヴィアーティ
カルミスの勝利(部分)
1543〜45年 フレスコ
フィレンツェ パラッツォ・ヴェッキオ
古代的主題を描くための考古学的細部や、馬や兵士で満ちた画面、精密な描写はサルヴィアーティが得意としたもので、ジュリオ・ロマーノやペリン・デル・ヴァーガからの影響がみられる。
馬車を先導するように壺を頭上に掲げて歩く女性は、ギルランダイオ「洗礼者聖ヨハネの誕生(1485〜90)」を思わせる。
カルミスの勝利(部分)
1543〜45年 フレスコ
フィレンツェ パラッツォ・ヴェッキオ