ルクレツィア・パンチアティキの肖像
フランス出身の文人で、フィレンツェの文芸アカデミーの顧問だったバルトロメオ・パンチアティキの妻ルクレツィアの肖像。ブロンズィーノはコジモ1世の家族のほかに、宮廷に出入りしていた宮廷人や知識人の肖像画も描いている。
絹の深紅の衣裳と緑色の眼の対照。影や顔の向き、貴族的な細い指など、モナ・リザで表された理想的女性像を踏襲している。表情にモデルの心情や性格は表されていないが、その目は見る者を凝視している。
バルトロメオ・パンチアティキはユグノーの嫌疑をかけられて審問されているが、妻ルクレツィアも宗教上の信念を同じくしていた。夫の死後、異端の嫌疑のため牢獄に入れられた。コジモの執りなしがあったが信念を変えず、1567年にフィレンツェを追放され、ピストイア政府の管理下で1582年に死去した。
世界美術大全集15 マニエリスム 1540年代
バルトロメオ・パンチアティキの肖像
ブロンズィーノ
ルクレツィア・パンチアティキの肖像
1540年頃 板 油彩 102×85cm
フィレンツェ ウフィツィ美術館
絹の深紅の衣裳と緑色の眼の対照。影や顔の向き、貴族的な細い指など、モナ・リザで表された理想的女性像を踏襲している。表情にモデルの心情や性格は表されていないが、その目は見る者を凝視している。
バルトロメオ・パンチアティキはユグノーの嫌疑をかけられて審問されているが、妻ルクレツィアも宗教上の信念を同じくしていた。夫の死後、異端の嫌疑のため牢獄に入れられた。コジモの執りなしがあったが信念を変えず、1567年にフィレンツェを追放され、ピストイア政府の管理下で1582年に死去した。
世界美術大全集15 マニエリスム 1540年代
バルトロメオ・パンチアティキの肖像
ルクレツィア・パンチアティキの肖像
1540年頃 板 油彩 102×85cm
フィレンツェ ウフィツィ美術館