巨人族の没落
1528年にアンドレア・ドーリアは神聖ローマ皇帝カール5世に地中海ならびにアドリア海の海軍総指揮官に任命された。これによってジェノヴァ共和国は完全な自治を認められた。
ドーリアは別荘の改造を進めていて、カール5世を中心とした新たなジェノヴァの政治理念で装飾しようとした。ペリン・デル・ヴァーガは1528年の春〜夏に装飾の委嘱を受けてジェノヴァに来ている。1529年と33年にカール5世の入城があり、ヴァーガは凱旋門の意匠をおこなっている。33年には12日間滞在しているので、このときには宮殿の装飾が完成していたらしい。
追い落とされる人体にジュリオ・ロマーノの「聖ステパノの石打ち」、天と地を雲で分ける構図にはラファエロの「聖体の論議」、裸体表現にはロッソの「モーセとエテロの娘たち」、ミケランジェロの天井画「ノアの泥酔」などからの影響がみられる。
ドーリアは別荘の改造を進めていて、カール5世を中心とした新たなジェノヴァの政治理念で装飾しようとした。ペリン・デル・ヴァーガは1528年の春〜夏に装飾の委嘱を受けてジェノヴァに来ている。1529年と33年にカール5世の入城があり、ヴァーガは凱旋門の意匠をおこなっている。33年には12日間滞在しているので、このときには宮殿の装飾が完成していたらしい。
追い落とされる人体にジュリオ・ロマーノの「聖ステパノの石打ち」、天と地を雲で分ける構図にはラファエロの「聖体の論議」、裸体表現にはロッソの「モーセとエテロの娘たち」、ミケランジェロの天井画「ノアの泥酔」などからの影響がみられる。
1532年に皇帝がジュリオ・ロマーノの「巨人族の没落」を称賛したことから、ドーリアも皇帝を栄光化するために「ローマ劫掠」によるイタリア懲罰を暗示した「巨人族の没落」を描かせたとも考えられている。ヴァーガは古代神話を再現し、カール5世の世界征服になぞらえている。ユピテルの足下の鷹は、ユピテルの持物(アトリビュート)て、古代ローマ皇帝の紋章、ハプスブルク家の紋章でもあった。
世界美術大全集15 マニエリスム 1520年代
ペリン・デル・ヴァーガ
巨人族の没落
1528〜33年 フレスコ
イタリア ジェノヴァ パラッツォ・ドーリア・パンフィーリ
世界美術大全集15 マニエリスム 1520年代
巨人族の没落
1528〜33年 フレスコ
イタリア ジェノヴァ パラッツォ・ドーリア・パンフィーリ