一万一千人の殉教
フィレンツェの孤児養育院の修道女たちから委嘱された作品。ヴァザーリは3世紀ディオクレティアヌス帝の時代に、多くのキリスト教徒の兵士がアララト山で処刑された場面を描いたものと伝えている。多くの研究者たちはメディチ家が復帰した際に、皇帝軍と戦った共和制支持のフィレンツェ兵士を大量に処刑したことを暗示していると考えている。
ミケランジェロの影響が指摘されている。左上の丘で十字架に掛けられるために衣服を脱いでいる人物群に「カッシナの戦い」、皇帝に「ジュリアーノ・デ・メディチ」、右上の十字架に掛けられた裸体に「十字架上のキリスト」。また中景の騎馬戦にはレオナルドの「アンギアーリの戦い」。
ミケランジェロの影響が指摘されている。左上の丘で十字架に掛けられるために衣服を脱いでいる人物群に「カッシナの戦い」、皇帝に「ジュリアーノ・デ・メディチ」、右上の十字架に掛けられた裸体に「十字架上のキリスト」。また中景の騎馬戦にはレオナルドの「アンギアーリの戦い」。
若桑氏は皇帝の後ろで戦っている人物たちにシスティーナ礼拝堂天井画の「ダヴィデとゴリアテ」を見ている。また、画面を背景(過去)から前景(現在)という時間の経過でみると、武装皇帝軍の進軍、市民兵の蜂起、フィレンツェ共和国軍と皇帝軍の戦い、皇帝とメディチ家による市民兵の処刑。一つの画面に時間の経過を表現した反古典主義的作品となる。
世界美術大全集15 マニエリスム 1520年代
ポントルモ
一万一千人の殉教
1529〜31年 板 油彩 65×73cm
フィレンツェ ピッティ美術館
世界美術大全集15 マニエリスム 1520年代
一万一千人の殉教
1529〜31年 板 油彩 65×73cm
フィレンツェ ピッティ美術館