メディチ礼拝堂(新聖具室)
1519年の夏、教皇レオ10世(ジョヴァンニ・デ・メディチ)の時、枢機卿ジュリオ・デ・メディチ(後の教皇クレメンス7世)はミケランジェロにメディチ礼拝堂の内部建築と彫刻を命じた。
ロレンツォ豪華公と暗殺された弟ジュリアーノ、1516年に死んだヌムール公ジュリアーノと1519年5月に若くして死去したウルビーノ公ロレンツォの墓を作るためだった。
1520年に最初の案が出されたが、1521年にレオ10世が死去したため中断、1523年クレメンス7世が教皇に選出され再開した。
祭壇の反対側(右画像の奥)にロレンツォ豪華公とジュリアーノが複棺で、両側にヌムール公とウルビーノ公がそれぞれ単棺で置かれることになっていた。 1520年代
ミケランジェロ Michelangelo
メディチ礼拝堂(新聖具室) 1520〜34年
フィレンツェ サン・ロレンツォ聖堂
世界美術大全集12 イタリア・ルネサンス2
イタリア・ルネサンスの巨匠たち25 ミケランジェロ
ロレンツォ豪華公と暗殺された弟ジュリアーノ、1516年に死んだヌムール公ジュリアーノと1519年5月に若くして死去したウルビーノ公ロレンツォの墓を作るためだった。
1520年に最初の案が出されたが、1521年にレオ10世が死去したため中断、1523年クレメンス7世が教皇に選出され再開した。
祭壇の反対側(右画像の奥)にロレンツォ豪華公とジュリアーノが複棺で、両側にヌムール公とウルビーノ公がそれぞれ単棺で置かれることになっていた。 1520年代
メディチ礼拝堂(新聖具室) 1520〜34年
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