アドニスの死
セバスティアーノ・デル・ピオンボはジョルジョーネの色と光をミケランジェロのモニュメンタルな形態に融合させ、独自の様式を作り出したとされる。
ヴェネツィアで修業していたが、1511年に銀行家アゴスティーノ・キージの申し出によってローマへ移った。上図はヴェネツィア的要素とローマ的要素が混在していることからローマに来てまもなくの作品と考えられている。
ヴィーナスに愛された美少年アドニスは、狩猟に行った時に猪に突かれて死んでしまう。アドニスの流した血からアネモネが生え、その背後には猪が見える。
1510年代
ヴェネツィアで修業していたが、1511年に銀行家アゴスティーノ・キージの申し出によってローマへ移った。上図はヴェネツィア的要素とローマ的要素が混在していることからローマに来てまもなくの作品と考えられている。
ヴィーナスに愛された美少年アドニスは、狩猟に行った時に猪に突かれて死んでしまう。アドニスの流した血からアネモネが生え、その背後には猪が見える。
1510年代
駆けつけたヴィーナスの足には棘が刺さり、その血で白い花だった薔薇を赤く染めている。ヴィーナスの左にはキューピッド、右端では牧神パンが縦笛を吹いている。背景にはヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレや鐘塔が描かれている。
制作のいきさつについての記録は残されていない。この作品以降神話画は描いていないらしい。セバスティアーノ・デル・ピオンボ Sebastiano del Piombo
アドニスの死
1512年頃 カンヴァス 油彩 189×295cm
フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集13 イタリア・ルネサンス3
制作のいきさつについての記録は残されていない。この作品以降神話画は描いていないらしい。
アドニスの死
1512年頃 カンヴァス 油彩 189×295cm
フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集13 イタリア・ルネサンス3