柘榴(ザクロ)の聖母
1487年にフィレンツェ政庁の議場管理官からの依頼で描かれた作品とされている。1481年のローマ行きの前後に描かれたとする説もある。
1480年代ボッティチェリは大型注文画のほかに、個人が家庭で礼拝するための小型の聖母子像なども描いている。それが魅力的だったため、彼の工房に属さない画家によっても模倣された。ボッティチェリが描いた聖母子像についての記録が残されていないため、多くの贋作が高値で売買されたらしい。
この作品では「マニフィカトの聖母」とは異なり円形の画面を生かした構成とはなっていない。
1480年代ボッティチェリは大型注文画のほかに、個人が家庭で礼拝するための小型の聖母子像なども描いている。それが魅力的だったため、彼の工房に属さない画家によっても模倣された。ボッティチェリが描いた聖母子像についての記録が残されていないため、多くの贋作が高値で売買されたらしい。
この作品では「マニフィカトの聖母」とは異なり円形の画面を生かした構成とはなっていない。
聖母の顔は面長になり、目は虚ろに彼方を見ている。表情の描き方はこの画家の女性像の到達点を示している。天使たちは翼を付け、白百合(マリアの純潔)と赤い薔薇の花綱(愛のしるし)を持ち、聖母と同じ感情のなかにいる。
1480年代ボッティチェリ Botticelli
柘榴(ザクロ)の聖母
1487年頃 板 テンペラ 直径143.5cm
フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
1480年代
柘榴(ザクロ)の聖母
1487年頃 板 テンペラ 直径143.5cm
フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1