書斎の聖アウグスティヌス
1480年にドメニコ・ギルランダイオの「書斎の聖ヒエロニムス」とともにヴェスプッチ家の注文でオニサンティ聖堂のために制作されたフレスコ画。
ヴェスプッチ家はメディチ家と親しく、1434年コジモが追放から戻って以来、都市政府の要職にも就いていた。アメリカの名前の基になったアメリゴ(大陸の名前は女性形が使われた)も一族のひとり。オニサンティ聖堂を庇護し、その聖堂はボッティチェリ生家の教区教会堂でもあった。
聖アウグスティヌスは初期キリスト教時代の教父で「神の国」「告白録」の著者。書斎で幾何学書、天体観測儀、時計などに囲まれて思索にふけっている場面。書見台の奥の司教帽は北アフリカのヒッポ司教だったことを示している。当時メディチ家には、今は失われているヤン・ファン・エイクの「聖ヒエロニムス」があって賞讃されていたらしい。構図や家具類の細密な描写に影響が見られるともされている。
太い縦皺の刻まれた表情は、写実を越えた、何かの不安を感じとっている人物像となっているが、ボッティチェリの作品には繰り返し現れている。
ボッティチェリ自身は陽気な性格だったらしく、幾何学書の部分には制作中に聞こえてきたらしい、修道士たちの会話が書き込まれている。
1480年代ボッティチェリ Botticelli
書斎の聖アウグスティヌス
1480年 フレスコ 152×112cm
フィレンツェ オニサンティ聖堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
ヴェスプッチ家はメディチ家と親しく、1434年コジモが追放から戻って以来、都市政府の要職にも就いていた。アメリカの名前の基になったアメリゴ(大陸の名前は女性形が使われた)も一族のひとり。オニサンティ聖堂を庇護し、その聖堂はボッティチェリ生家の教区教会堂でもあった。
聖アウグスティヌスは初期キリスト教時代の教父で「神の国」「告白録」の著者。書斎で幾何学書、天体観測儀、時計などに囲まれて思索にふけっている場面。書見台の奥の司教帽は北アフリカのヒッポ司教だったことを示している。当時メディチ家には、今は失われているヤン・ファン・エイクの「聖ヒエロニムス」があって賞讃されていたらしい。構図や家具類の細密な描写に影響が見られるともされている。
太い縦皺の刻まれた表情は、写実を越えた、何かの不安を感じとっている人物像となっているが、ボッティチェリの作品には繰り返し現れている。
ボッティチェリ自身は陽気な性格だったらしく、幾何学書の部分には制作中に聞こえてきたらしい、修道士たちの会話が書き込まれている。
1480年代
書斎の聖アウグスティヌス
1480年 フレスコ 152×112cm
フィレンツェ オニサンティ聖堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1