ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像
1455年10月、フィレンツェ大聖堂造営管理局は、サン・ロマーノの合戦(1432年)でシエナ軍を破ったフィレンツェの傭兵隊長ニッコロ・ダ・トレンティーノ(1435年没)の騎馬像を、当初の大理石製記念碑を変更してウッチェロの「ジョン・ホークウッド騎馬像(1436年)」のように描くようにアンドレア・デル・カスターニョに発注した。
カスターニョは消失点を画面の中央垂線上にとり、遠い視距離を設定した。首をひねって歩む馬の動感を翻る馬具や馬の尾などで強調している。傭兵隊長は背筋を伸ばして前を向き、指揮棒を握る右手を前に差し出し、左手で手綱をさばいている。
騎馬像が載る石棺は2本の角柱と大きな貝殻に支えられ、華やかに装飾されている。その左右には、盾と指揮棒を持つ裸体青年が作品の正面性を強調するように立っている。
「ジョン・ホークウッド騎馬像」との比較で、石棺の華やかな装飾について、解説では20年の流れと美意識の変化が読み取れるとしている。同じ頃ウッチェロはパラッツォ・メディチ1階の大広間を飾っていた「サン・ロマーノの合戦」三部作の制作をしている。
1457年8月、カスターニョはペストに罹り死去した。
1450年代アンドレア・デル・カスターニョ Andrea del Castagno
ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像
1455〜56年 フレスコ 833×512cm(全体)
フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
カスターニョは消失点を画面の中央垂線上にとり、遠い視距離を設定した。首をひねって歩む馬の動感を翻る馬具や馬の尾などで強調している。傭兵隊長は背筋を伸ばして前を向き、指揮棒を握る右手を前に差し出し、左手で手綱をさばいている。
騎馬像が載る石棺は2本の角柱と大きな貝殻に支えられ、華やかに装飾されている。その左右には、盾と指揮棒を持つ裸体青年が作品の正面性を強調するように立っている。
「ジョン・ホークウッド騎馬像」との比較で、石棺の華やかな装飾について、解説では20年の流れと美意識の変化が読み取れるとしている。同じ頃ウッチェロはパラッツォ・メディチ1階の大広間を飾っていた「サン・ロマーノの合戦」三部作の制作をしている。
1457年8月、カスターニョはペストに罹り死去した。
1450年代
ニッコロ・ダ・トレンティーノ騎馬像
1455〜56年 フレスコ 833×512cm(全体)
フィレンツェ ウフィツィ美術館
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1