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レオナルド・ブルーニ墓碑

15世紀中頃まで、フィレンツェでは彫刻をともなう壁面墓碑はほとんどなかった。重要な聖職者・市民を顕彰するためには、教会堂の床面に墓石板(ときに故人の浮彫肖像を伴う)をはめ込んでいた。
15世紀半ば以降、古代の葬儀や顕彰記念物に対する関心が高まり、個人への崇拝が強くなって印象的な墓碑が生まれた。レオナルド・ブルーニ墓碑はこの新しい傾向の最初の重要な作品とされる。
レオナルド・ブルーニは優れた古典学者のひとりで、フィレンツェ共和国の書記官長を務めていた。作者のベルナルド・ロッセリーノはローマで建築家として活動していたが、この作品によってフィレンツェで最も重要な彫刻家になった。ドナテッロはパドヴァにいて、ルカ・デッラ・ロッビアは施釉テラコッタの制作をしていた。
先例の「枢機卿バルダッサーレ・コッシャ(対立教皇ヨハネス23世)墓碑」(1425〜27年 洗礼堂)を参考に、基壇・両側の角柱・上部のアーチで壁龕の空間を区切っている。下半分に故人の横たわる彫像を載せた石棺、上部リュネットに円形飾りに囲まれた聖母子、彫像の背景に赤色斑岩の3枚のパネル。古代建築を忠実に再現した建築モティーフは正確な考古学的知識を示している。この墓碑は新しい人文主義者に捧げられた壁龕墓碑の規範となった。
向かい合う壁面に1455年から制作された「カルロ・マルスッピーニ墓碑」、1461年から制作されたサン・ミニアート・アル・モンテ聖堂の「ポルトガル枢機卿墓碑」へと発展していった。
1440年代
ベルナルド・ロッセリーノ Bernardo Rossellino
レオナルド・ブルーニ墓碑
1448〜50年頃 大理石 高さ約610cm
フィレンツェ サンタ・クローチェ聖堂
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
フィレンツェの美術 上巻 日本放送出版協会