雪の聖母
1400年頃にコルトーナで生まれたサッセッタ(ステーファノ・ディ・ジョヴァンニ 1400頃〜1450)はシエナで画家として修業し、1423〜26年にシエナの羊毛組合のための多翼祭壇画を制作している。(数点のパネルが現存)
シエナ大聖堂内のボニファツィオ礼拝堂のための祭壇画。この作品については多くの史料が残されている。1432年10月中旬に完成し、10月23日に注文主と画家の双方がそれぞれ一人の画家を指名して作品の評価を行った。29日に注文主は画家に180フィオリーニ支払うべきという結論が出された。しかし注文主は不満で、新たに注文主側の一人の画家と中立の二人の画家による委員会が開かれ、180フィオリーニは妥当とされた。このような作品の査定は「ロード」と呼ばれ、この時代に広く行われていた。
1430年代
シエナ大聖堂内のボニファツィオ礼拝堂のための祭壇画。この作品については多くの史料が残されている。1432年10月中旬に完成し、10月23日に注文主と画家の双方がそれぞれ一人の画家を指名して作品の評価を行った。29日に注文主は画家に180フィオリーニ支払うべきという結論が出された。しかし注文主は不満で、新たに注文主側の一人の画家と中立の二人の画家による委員会が開かれ、180フィオリーニは妥当とされた。このような作品の査定は「ロード」と呼ばれ、この時代に広く行われていた。
1430年代
「雪の聖母」と呼ばれるのはプレデッラに、真夏に雪が降って聖堂を建てるべき場所が天から示されたという、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂献堂のエピソードが描かれているため。
祭壇画下段に「シエナ出身のステファヌス」と署名が入り、聖母の頭光には「シエナよ、もし汝が私を信ずるならば、汝は恩寵に満ちるであろう」と記されている。
フィレンツェの画家からの影響と国際ゴシック様式をサッセッタが独自に消化し、シエナ伝統の優雅さの中に取り入れている。サッセッタ Sassetta
雪の聖母
1430〜32年 板 テンペラ 241×223cm
フィレンツェ コンティーニ=ボナコッシ・コレクション
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
祭壇画下段に「シエナ出身のステファヌス」と署名が入り、聖母の頭光には「シエナよ、もし汝が私を信ずるならば、汝は恩寵に満ちるであろう」と記されている。
フィレンツェの画家からの影響と国際ゴシック様式をサッセッタが独自に消化し、シエナ伝統の優雅さの中に取り入れている。
雪の聖母
1430〜32年 板 テンペラ 241×223cm
フィレンツェ コンティーニ=ボナコッシ・コレクション
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1