玉座の聖母子と諸聖人 サン・マルコ祭壇画
1438年、追放からフィレンツェに戻っていたコジモ・デ・メディチは造営事業の一環として、サン・マルコ旧修道院をドメニコ会のために入手、改築をミケロッツォに委嘱した。献堂式は1443年に行われたが、フラ・アンジェリコは早い時期から主祭壇画制作に取りかかっていたらしい。
1438年4月にドメニコ・ヴェネツィアーノがピエロ・デ・メディチに宛てた手紙が残されている。
「コジモ殿が祭壇画を描かせようと心を決められ、それも壮麗なものを要求しておいでだ、と聞いたばかりです。この噂を私は大変喜ばしく思いましたが、もし、あなた様のお力により、私にそれを描かせてくださることが可能であるならば、よりいっそううれしいことでありましょう。もし事が実現するとすれば、私は神に願い、たとえフラ・フィリッポ(フィリッポ・リッピ)やフラ・ジョヴァンニ(フラ・アンジェリコ)のごときすぐれた画匠がいることを考慮しても、驚嘆されるようなものをあなた様にお見せいたしましょう。彼らすぐれた画匠は多くの仕事を抱えています。」
フィリッポ・リッピ、フラ・アンジェリコがフィレンツェで高く評価されていたこと、大きな仕事の噂は早く広まっていたこと、新しい世代の台頭や画家からの売り込みもあったことなどがわかる。
1438年4月にドメニコ・ヴェネツィアーノがピエロ・デ・メディチに宛てた手紙が残されている。
「コジモ殿が祭壇画を描かせようと心を決められ、それも壮麗なものを要求しておいでだ、と聞いたばかりです。この噂を私は大変喜ばしく思いましたが、もし、あなた様のお力により、私にそれを描かせてくださることが可能であるならば、よりいっそううれしいことでありましょう。もし事が実現するとすれば、私は神に願い、たとえフラ・フィリッポ(フィリッポ・リッピ)やフラ・ジョヴァンニ(フラ・アンジェリコ)のごときすぐれた画匠がいることを考慮しても、驚嘆されるようなものをあなた様にお見せいたしましょう。彼らすぐれた画匠は多くの仕事を抱えています。」
フィリッポ・リッピ、フラ・アンジェリコがフィレンツェで高く評価されていたこと、大きな仕事の噂は早く広まっていたこと、新しい世代の台頭や画家からの売り込みもあったことなどがわかる。
天国の宮廷で聖母子は玉座に座り、両側を天使と聖人が丸く取り囲んでいる。左側の聖人は聖ラウレンティウス、福音書記者聖ヨハネ、聖マルコ、右は聖ドミニクス、聖フランチェスコ、殉教者聖ピエトロ。前景でひざまずいて左に聖コスマスと聖ダミアヌス。コスマスがコジモの肖像とする説もある。
背景に広い庭園を描くことで奥行きが広がり、これらの樹木は聖母子を象徴しているともされる。床のトルコ風カーペットの遠近法的走行線は聖母の胸元へ向かい、聖母の威厳を高めている。
最前面には幼児キリストの運命を暗示する「磔刑」の小画面。この下にプレデッラの中央パネル「キリストの死への哀悼」が置かれ、キリストの十字架上の死によって人々が天国へ導かれることを思わせている。
この作品は表面を研磨剤で洗ってしまったことがあるらしい。
プレデッラ 1430年代フラ・アンジェリコ Fra Angelico
玉座の聖母子と諸聖人(サン・マルコ祭壇画主画面)
1438〜40年 板 テンペラ 220×227cm
フィレンツェ サン・マルコ美術館
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1
背景に広い庭園を描くことで奥行きが広がり、これらの樹木は聖母子を象徴しているともされる。床のトルコ風カーペットの遠近法的走行線は聖母の胸元へ向かい、聖母の威厳を高めている。
最前面には幼児キリストの運命を暗示する「磔刑」の小画面。この下にプレデッラの中央パネル「キリストの死への哀悼」が置かれ、キリストの十字架上の死によって人々が天国へ導かれることを思わせている。
この作品は表面を研磨剤で洗ってしまったことがあるらしい。
プレデッラ 1430年代
玉座の聖母子と諸聖人(サン・マルコ祭壇画主画面)
1438〜40年 板 テンペラ 220×227cm
フィレンツェ サン・マルコ美術館
世界美術大全集11 イタリア・ルネサンス1