
イサクの犠牲 洗礼堂ブロンズ門扉のコンクール

応募したのはヤコポ・デッラ・クエルチャを含む7人、1年以内に「イサクの犠牲」の試作品を提出しなければならなかった。最終選考に残ったのはブルネレスキとギベルティ、最年少のギベルティが勝者となった。
1400年代
画像 イタリア・ルネサンスの巨匠たち7 ブルネレスキ 東京書籍

試作品ではブルネレスキがそれぞれのパーツをつないで制作しているのに対し、ギベルティはイサクを除く全体を一つの構成体として制作している。「イサクの犠牲」という物語の表現として個々の部分や迫真性ではブルネレスキが優れているが、構図の簡潔性・統一性ではギベルティが優れていた。仕上げの見事さと使用するブロンズがより少なくて完成できるということもあってギベルティが選ばれた。
1403年頃ギベルティは制作依託を受けた。
イサクの犠牲
1401年 金メッキをしたブロンズパネル
フィレンツェ パルジェッロ美術館