聖母子
ベルナルド・ダッディの生没年は正確にはわからない。1312〜1319年のフィレンツェの医師・薬種商組合の記録に名前があることから13世紀末頃の生まれとされている。
最も早い年記をもつ三連祭壇画(1328年 ウフィツィ美術館)や初期の代表作「聖ラウレンティウスと聖ステパノ伝」からジョットに学んだことが確かめられる。
しかしダッディの志向はわかりやすい物語の描写や装飾性で「サンタ・チェチリアの画家」と同質の傾向が見られる。
この作品は1347年にオルサンミケーレ同信会からの支払い記録が残る「聖母」の板絵と同一とされていて、晩年の代表作とされる。
1304年の聖堂の火事で焼失した13世紀末のフレスコ画の代わりにダッディに制作が依頼され、その際旧作を模写するように求められたらしい。全体の構図や天使たちの髪飾りはチマブーエやドゥッチョの作品を思わせる。
現在1359年に完成したオルカーニャ作の「聖壇」(タベルナーコロ)の中に安置されている。
1340年代
ベルナルド・ダッディ Bernardo Daddi
聖母子
1346〜47年 板 テンペラ 250×180cm
フィレンツェ オルサンミケーレ聖堂
世界美術大全集10 ゴシック2
最も早い年記をもつ三連祭壇画(1328年 ウフィツィ美術館)や初期の代表作「聖ラウレンティウスと聖ステパノ伝」からジョットに学んだことが確かめられる。
しかしダッディの志向はわかりやすい物語の描写や装飾性で「サンタ・チェチリアの画家」と同質の傾向が見られる。
この作品は1347年にオルサンミケーレ同信会からの支払い記録が残る「聖母」の板絵と同一とされていて、晩年の代表作とされる。
1304年の聖堂の火事で焼失した13世紀末のフレスコ画の代わりにダッディに制作が依頼され、その際旧作を模写するように求められたらしい。全体の構図や天使たちの髪飾りはチマブーエやドゥッチョの作品を思わせる。
現在1359年に完成したオルカーニャ作の「聖壇」(タベルナーコロ)の中に安置されている。
1340年代
聖母子
1346〜47年 板 テンペラ 250×180cm
フィレンツェ オルサンミケーレ聖堂
世界美術大全集10 ゴシック2